松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年7月14日の日録

騒動のまとめ。

2023年7月2日の日録 - 美風庵だより

2023年7月4日の日録 - 美風庵だより

2023年7月6日の日録 - 美風庵だより

問題となっているお宮はいまでこそ「ふくっちゃま」と呼ばれていますが、どうかんがえても元は「福智社(福智山)」です。

直方市と北九州市と田川郡福智町の境界、実家がある集落から車で1時間以上はなれた場所に福智山という山があります。

この山の麓に、私の苗字と同じ地名が2か所あります。

この福智山、英彦山の重要な拠点でした。

戦国時代から江戸初期にかけて、英彦山はどんどん所領を削られてしまいます。

重要な経済活動拠点には大行事社という出先を設置し、その数は48社あったと伝えられます。英彦山はちょっとした藩なみ、人口数万を超える規模の一大宗教都市でした。

福智山は、のちに黒川院という場所に座主(一番えらいお坊さん)の拠点が移るまで、祭事のないときの生活拠点とされていました。

戦国大名や幕府によってガンガン領土を削られ、居場所を失った人々は移住をせまられます。そのなかで、私のご先祖様もクソ山中に移住してきました。そして、元の地名を苗字とし、集落を見下ろす坂のてっぺんに、お宮を建てて過去を記憶にとどめたわけです。いまは竹林と人工の杉林でまったく見えませんが、googleマップをみれば、集落をはさんでちょうど福智山と対角線上に存在するのがわかります。

おそらくそれは意図したものです。ただ、そのため冬は凍ってすべるダラダラ坂を登らないとたどり着かず、掃除もろくにできない場所になってしまいましたが……。

このお宮、福岡県神社誌どころか地元の史誌にもありません。

神職を招いていたから神社扱いなのだろうと漠然とかんがえていましたが、若いころは不思議でした。神社なのか寺なのかちゃんぽんな要素満載だからです。

神社として申請するためには最低限の設備をととのえ、祭神を古事記や日本書紀の神様と取り替える必要がありましたから、ふるさと信仰とでもいうべき実態にそぐわず、ご先祖様たちが敢えて隠したのだろうと、いまになってはおもいます。

本殿にあたる場所には石の御神体が並んでいますが、誰もこれが誰なのか知りません。私もわかりません。おそらくはこの石は、さいしょにこの地に移住してきた人たちを示しているのかな?くらいにかんがえています。

お宮の付近にはお堂があり、ここにも3つの石が祀られています。

こちらは我が実家の裏山にあるものと同じで、戦国時代に戦から負けて逃げてきた手負いのお侍さんが、介抱してくれたことに感謝を伝え「死んでもこの地にとどまりみなさまをお守りする」と言ってこと切れたので、それを祀っているとのこと。

近所の神社から神職を招くので直会と解していますが、かしわめしとがめ煮で延々と御神酒を呑み、私が子供のころは夜が明けたら解散でした。魚なんてクソ山中で手にはいるわけがありません。いちおう一般的な神饌のように、魚の干物(棒鱈)、昆布、餅もお供えに並べますが、昆布は切って煮物のなかにぶち込まれ、餅もこまかく割って、追加のかしわめしの一部となります。餅をいれて炊くと、どこかおこわのような食感になり、箸がつきささるため子供のころ食うのは難儀したものです。

この調理は輪番でしたから、各世帯の味の好みがでます。鶏が少ないと文句が出るし、味が薄いと文句が出るし、気を利かせて(かしわめしとがめ煮のほか)吸い物をつくるとまた文句が出るといった具合で、めんどくせー!と子供のころおもっていました。

鶏料理がメインなのは、手にはいる範囲でいちばんの贅沢が鶏料理だったからでしょう。しかもこれいまの神社本庁教が避ける「熟饌」です。要は、明治以前の姿をのこしています(まぁ、さすがに当時と味付けとかは変化してきたでしょうが)。

なお、お堂はいまから20年ほど前まで大師講のかたが巡礼にみえられており、そのときもかしわめし+がめ煮+日本酒で接待していましたから、神仏という区別はまったく発想にすらなかったのかもしれません。

子供のころは、各戸のいわば長老格と跡継ぎが参加するのがならわしで、祖父や曾祖父に連れられて孫だった私もよく参加しました。さすがに小学校はさぼれませんから、22時をすぎたころに父親が迎えに来て、一緒にもどります。学校に行くため靴をはくくらいの時間になったら、ベロベロのオッサンどもが歩いて下山してきます。

この夜明けまで飲み明かすという風習がなくなったのは、ベロベロで近道しようと田んぼのあぜを歩き、落ちて亡くなったひとが出たためです。その後は、24時過ぎたらお開きになりました。

現在は、午前10時にはじまり13時までには終わる、非常に健全な場となっています。途中でかしわめしやがめ煮の追加補充もありません。御神酒を最初からコップで均等に注ぎ分け、それを呑みながら各自のかしわめしとがめ煮を食い切ったら、終了です。

ここまで読めばおわかりのとおり、神社本庁教の「氏子」とかいう後付けの定義について説教されるまでもなく、同姓同族集団が執り行うほんらいの信仰が、息づいているのです。こういう伝統文化はできるかぎり、伝えていかなければなりません。

これを妙にいじくって一般的な神社みたいにスルメかじって盃でちまちま御神酒をいただいてハイ終了なんてやるなら、やらないほうがましです。そのほうがご先祖様に顔向けできません。法人格がカネになるうちにさっさと更地にしたほうが、よっぽどよろこばれます。

大卒インテリのいう「神式なのか仏式なのかここはわからん。誰が御祭神なのかもわからん」のは問題ではありません。神式だの仏式だのと後世のやりかたで上書きしたり、名のしれた神様を祀っていることにしようとするから、妙に堅苦しくなり、難しくかんがえないといけなくなり、結果、追われたふるさとをしのび、ふるさとにのこした先祖を追慕するという本質が抜け落ちるのです。

この程度のリクツがわからんから腹が立つわけですね。

 

人気者はつらい。

【7月13日 AFP】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong Un)朝鮮労働党総書記が今週、新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射の指導に当たった際、金氏の机の上に折り畳み式のスマートフォンとみられる物が置かれていたとして、注目が集まっている。 

金氏、折り畳みスマホ使用か ミサイル発射時の写真に注目 写真13枚 国際ニュース:AFPBB News

身につけているスマホの機種で記事が出来るとは、人気者はつらいですね……。

 

数年ぶりのうなぎを食す。

松屋のうな丼|メニュー|松屋 (matsuyafoods.co.jp)

松屋"夏の風物詩"が今年も帰ってきた!
ふんわり柔らかいうなぎと特製ダレがたまらない至高の丼が復活
松屋にて、2023年6月27日(火)午前10時より「松屋のうな丼」を発売いたします。

土用の丑の日シーズンに「松屋のうな丼」発売|松屋フーズ (matsuyafoods.co.jp)

14日、名古屋行きの夜行バスに乗るため、平日常勤の事務所を退勤後、小倉に出ました。大雨で各地が被災し、ショックなことに通行止めだらけでショートカットができません。結果、当初の想定より20分ほどよけいに時間がかかりました。

小倉についたらまず、松屋でうなぎを食します。

12月26日の日録 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)

うなぎを食うのは、2020年12月26日以来です。なんと930日ぶり。

幸せですね……。ほんとうは食いたいときにうなぎが食えるくらいには稼げるようになりたかったのですが、なかなかね。

福岡|名鉄バス (meitetsu-bus.co.jp)

福岡・北九州 〜 名古屋線 夜行高速バス (どんたく号) |高速バス路線・時刻検索(本州・四国方面 夜行高速バス)|高速バス情報|バス情報|西鉄グループ (nishitetsu.jp)

知人事務所の駐車場は借りることができましたが、まさか誰もいない事務所に勝手に入るわけにはいかず、小倉駅前の発車時刻まで、途中のネカフェでこの原稿を書きながら過ごしました。

夜行バス乗車後については、明日、書かせていただきます<(_ _)>