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非常に入口がわかりにくい神社でした。詳細は当時の訪問記録をお読みください。
鳥居の扁額に「天満宮」とあります。
社殿は元のものを生かしつつ、一部に補修が重ねられているようです。
拝殿内に貼られた由緒書きを読むまで、てっきり鳥栖市の今町だとばかりおもっていました。ここは、三養基郡基山町の長野地区なのです。
もとは長野原(長ノ原)にあった長野村の鎮守が、江戸時代に現在の上野集落に移転しました。山の上から地域を見下ろせるように配慮したのでしょうが、JR鹿児島本線開通で参道が分断されています。
むかし、まだ線路で分断されるまえの石段は残っていますが、訪問当日、ここに至る道がわかりませんでした。もしかすると、気づかなかった経路があるのかもしれません。
昭和4年発行の地図と比較すると、むかしはほかに踏切があって、そこから神社に出入りできたようです。
(2022.09.01訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。