どのくらいやる気が違うか。
昨日、某社のナメきった姿について書きました。そのおかげか、なんと平均よりアクセス数2割もUPです。
ありがたやありがたや<(_ _)>
「そもそも小倉駅の構造がわからないので、3階の混む改札口だの1階の空いてる改札口だの書かれても、ふーん、そうなのね、としか思えない」というご意見がリアル知人からありました。
説明を追加しようとJR小倉駅の構内図を検索していて、がくぜんとしました。
こちらはJRおでかけネット、言わずとしれたJR西日本さんの時刻案内サイトです。引用した画像だけでなく、各階ごとの見取り図もあって、さすがJR西日本さんです。
在来線は他社線なのに、どこの乗り場からどこ行きが出るかも表示されており、こういうのを「親切丁寧」といいます。
1階の改札口は、構造上タクシー乗り場と、付近のオフィスビルや商店街利用者のためにあります。引用した画像ではいっけん路線バス乗り場に行けそうですが、タクシー乗り場のある通路は横断禁止のため、バス乗り場には行けません。
2階が在来線ホームで、9割以上のお客さんは、3階の改札口に向かいます。モノレール、新幹線、路線バス乗り場につながるペデストリアンデッキ、フェリー/空港連絡バス乗り場、基本的に3階改札口での連絡を想定しているためです。
小倉駅 | 駅情報一覧| 駅・きっぷ・列車予約 | JR九州
https://www.jrkyushu.co.jp/railway/station/__icsFiles/afieldfile/2022/03/31/kokura_st_kounai2.pdf
かたや某社の構内図です。
やる気もへったくれもありませんが、トイレの場所はよくわかります。
掃除とおやつづくり。
先日お供えした新米が、1週間でカチカチに乾いたので下げました。
カビた形跡がないため、鍋に菜種油をいれて、あられにします。
正確には、あられはモチ米でつくります。これはうるちの新米なので「せんべい」と呼ぶべきですが、みてのとおりせんべいのかたちはしていません。個人的に乾いた米飯を素揚げして塩を振って食うのもこっそり、あられと呼んでいます。
なにもお供えしないというわけにはいかないため、電子レンジで温めていた作り置きのスパゲティを少し皿に取り分けて、キツネさんにお供えします。
ひさしぶりに書斎を掃除します。
穴守稲荷の記念品と、むかし佐賀で釣銭にもらった記念硬貨が出てきました。
これをJR佐賀駅付近のお店で釣銭として渡されました。
さいしょ「佐賀県」の文字が目にはいり、「佐賀県の500円玉とか要りません。福岡で通用する500円玉をください」とまじめに返事をしてしまいました。お店のひとが「ええっ!」と絶句。隣の店員さんに「これ、記念硬貨です」と笑いながら言われ、やっと上の「日本国」の刻印に気づいた代物です。
地方自治 60周年記念 500円バイカラー・クラッド貨幣【佐賀県】 平成22年(2010年)
坂本龍馬公は1,500円で、大隈重信公は900円か……。人気の差ですね。
木札を立てかけやすいよう、神棚のよこに1枚、板をはさんでいます。板の裏に、穴守稲荷の竣工記念写真集を並べます。
神棚の御神鏡にすぐ茶色の汚れがつくため、気づいたら「ジフ」というクレンザーをつけて磨きます。こういうニッケルメッキの鏡ではなく、もっと汚れ落ちのよい、たとえば浴室の鏡みたいな材質でできた御神鏡があればよいのですが、みかけません。
駅前のスーパーで買った梅酒をずっとお供えしっぱなしです。未開封ですから腐ることはありませんが、日当たりの関係か、味はあきらかに劣化します。
掃除ついでに手に取ると愛知県半田市の中埜酒造とあります。
かつてはミツカングループに属していたが、現在は若干の一部交流や人事業務について協力しているのみである。
半田で中埜ならミツカン酢系列の会社なのかとしらべてみると、まったく無縁というわけでもないようです。
ミツカン御家騒動《父子引離し事件》の真実|中埜大輔 | Daisuke Nakano(ミツカン事件の婿本人、英国タイムズ紙が告発報道中)|note
中埜大輔 | Daisuke Nakano(ミツカン事件の婿本人、英国タイムズ紙が告発報道中) (@nakano3dai) / Twitters://twitter.com/nakano3dai?s=20&t=i4ez4lh7Ddko7wt9r1kBgQ
https://twitter.com/nakano3dai?s=20&t=i4ez4lh7Ddko7wt9r1kBgQ
この騒動を知ってからは意識してミツカン製品は避けるようにしていますが、これはまぁ、セーフということにします。
書斎と書棚、ついでに神棚の掃除も終わりました。
お榊は傷むまで交換はしないため、そのままです。
こどものころ神棚の御榊を交換するさい、祖父から「山の入口にある若い樹の枝を採らず、はしごを掛けて、奥の大きな樹から枝をとるように」といつも言われていたのですが、めんどうなので若い樹ばかり枝を採取してしまい、榊の木を1本枯らせてしまったことがあります。
1本枯らしてしまうと、たかが人間の信仰のために、身体の一部にハサミを入れることの残酷さに否応なく気づきます。あれから、スーパーや生花店の切花で買ってきたものは、枯れるまでは大事にする、長持ちするようなるべく工夫するようにしています。