表記の変更について
これまで「〇月〇日の日録」としていたのですが、年・月・日にしないと、あとで読み返していつの文章かわかりにくいため、今日から「2022年」を頭につけることにしました。
いまどき文庫本を買い直す。
3日の新幹線車中で「泥流地帯」を読み終えたので、続編の「続 泥流地帯」の文庫本を書棚から引っ張り出すと、なにやらでかいシミができています。しかもカビの匂いがして、さすがに車中でパラパラはぐれる状態ではありません。
というわけで4日、知人事務所の帰り、JR小倉駅前の喜久屋書店で文庫本を買い直しました。
はぐっていて、違和感をおぼえます。まさか新刊書店内でボロボロの文庫本を引っ張りだして見比べるわけにもいかないため店外で見比べると、あきらかに活字のサイズがちがいます。
戦後になってからの話に限っても、やはり今では小さい印象のある8ポイントの文字が、昭和57年までの長い間、新潮文庫では標準となっていました。
(昭和57年から8.5ポイントを 平成11年から9ポイントを そして平成14年から 9.25ポイントを標準使用)
どうりで(物故作家なので)書き足すものはないはずなのに、100ページ近く増えているわけです。
厚みの増加をおさえるためか紙が薄くなっており、再生パルプ混入率を低めにして白度をあげて読みやすさに配慮しているものの、裏の字は透けやすくなっています。国語辞典になると酸化チタンを紙に混ぜてより薄く、裏写りしにくく、といった技術もつかえますが、さすがに安さを求める文庫本では無理でしょう。
平成21年(2009年)改版とあり、このときに改版し活字が大きくなったようです。令和2年(2020年)までに5刷ということは、1年おきに増刷しているわけで、根づよい人気がうかがえます。
ずいぶん廃刊で減りましたが、それでもおもだったものはまだ残っています。
かさばらない、
選ぶ必要がない(事前にダウンロードしまくっても端末そのものが重くなるわけではない)、
そしてなにより字の大きさや字体も変更できて読みやすい。
よいことづくめにおもえた電子書籍も、ブラインドのない通勤電車では直射日光で読みにくく、まさかそんなところに敵がいるとはおもいもしませんでした。
結果、紙の本にもどってきたわけですが、紙の本はかさばるし、場所をとります。できれば減らしたいんですけどね……。
新米をお供えする。
かつては9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納した。1873年(明治6年)の太陽暦採用以降は新暦の9月17日に実施となったが、稲穂の生育が不十分な時期であるため、1879年(明治12年)以降は月遅れとして10月17日に実施されている。
その年にとれたお米をまず神様にお供えする行事として神嘗祭(かんなめさい)が行われます。元々は9月11日にはじまり9月17日に神様に奉納するものでしたが、明治になって暦がかわり、1か月ずれました。
たとえば現在の暦で2022年9月11日は、旧暦だと2022年8月16日となり、1か月ずれていますから、いくらなんでもお米が実るにははやすぎます。逆に旧暦の2022年9月11日は現在の暦だと2022年10月6日で、よほど田植えが遅くないかぎり稲刈り終盤戦の時期であり、こちらだと感覚的に理解できます。
それにしても、自然を相手にする商売ながら、改暦につきあい6年無理してきた神宮はほんとうにエライとおもいます。
三重県がいくら太平洋側といっても9月初旬にまともに実の入った状態での刈り取りが間に合うかはあやしい気がします。ただ、むかし宮崎の早場米生産者から聞いた話なので実地調査したわけではありませんが、三重の紀宝や和歌山の新宮あたりでは3月に田植えをして7月末に出荷するものがあるそうなので、もし神田での育成が間に合わなくてもまったく入手不可ではなかったとおもいます。
その1か月後、11月に天皇が食する新嘗祭(にいなめさい)が行われ、神社本庁教(戦前でいう国家神道)の一般的な指導では、下々の国民が新米を食してよいのは、新嘗祭後とされます。戦後、新嘗祭は名称から宗教色を排するため「勤労感謝の日」という祝日になりました。
私も子供のころは昭和天皇の御真影が神棚の横にあるような家で育ちましたからあまり深くはかんがえず、そういうものかとおもっていました。しかししだいに齢をとり、九州王朝説を信じるほど神社本庁教のプロパガンダが鼻につき心から離れ「脱会」してみれば、ほかの新宗教、それは金光教でも神理教でも天理教でもよいのですが、どこも10月に「秋季大祭」という名前で自らの神に新米を奉納していることに気づきます。
宗教法人認可が11月や4月であっても、なぜか立教記念大祭として「秋季大祭」を10月にやっているところが目につきます。1年で最も重要な収穫大感謝祭と、自らの立教大祭をかさねているわけです。
つまり、実質的に神嘗祭はどこもやっていることになります。新米を真っ先に自らの神さまに献納して、今年の収穫と、1年を大過なくすごせたことに感謝しています。
逆に、11月23日(勤労感謝の日)に神社本庁教のいう「新嘗祭」相当の「新穀感謝祭」を行うのは神理教くらいで、ほかは、新嘗祭相当の祭典を主要祭典として行いません(少なくとも信者向け主要行事表に載せていません)。
これをかんがえると、我が家なりの神嘗祭として、一般人がやるのは、新米が手にはいったら、自宅の神棚にまずお供えする程度でよいとおもいます(まぁ、皇室と神宮に臣下の礼を尽くしたいかたを止めはしません)。
さすがに神棚よりフライングはいけません。
1871年(明治4年)に打ち出された祭式次第に準拠した生饌と呼ばれる、素材そのものを献供する丸物神饌が一般的になったが、それ以前には熟饌とよばれる、調理や加工を行った、日常生活における食文化の影響が窺えるものも神饌として献供されていた。
神社本庁教は、仏教との違いを明確にするため、丸物神饌を基準としました。それがとうぜんだとおもって生米や洗米をお供えするかたもおおいのですが、生米をポリポリかじってそれを肴に酒を呑めというのは、自分がやられてうれしいものではありません。
あまり神社本庁教にはこだわらず、すぐ食えるよう炊いたご飯を出すほうが、喜ばれる気がします。
もう少し言うと、加工品(干物や塩蔵品など)は神饌としての順位が下がるのですが、なぜか種籾や稲穂(荒稲:あらしね)より精白米(和稲:にごしね)が上です。ここだけは加工品のほうが序列があがります(そして酒・餅に加工したらまた順位が下がります)。
神社本庁教がやらせようとしていることと、彼らがさもふるい伝統の後継者としてふるまう姿のズレはあきらかで、どうもいけません。
さすがに一般人が神社本庁教の神社祭式を目にする機会はありませんが、その元ネタである1942年(昭和17年)に内務省がさだめた神社祭式は、国立国会図書館デジタルコレクションで一般公開されています。
神社の格式や祭礼の規模でなにをお供えするか(省略してよいか)が決められ「特別なものをお供えしたければ地方長官の許可を得よ」とあります。内務省のいう「地方長官」とは、都道府県知事のことです。
いっけん古来からの伝統儀式にみえて、こまかい内実は明治になって行政が決めたものということが、国家神道を引きつぐ神社本庁教には、多数あります。
なんで急にこんな話を書いたかというと、駅前のスーパーに「新米」が並んでいたのでまだ米びつにお米がのこっているのにうっかり買ってしまいました。
愛麺家で、自宅でほとんど米食しないため、2kgのお米に1kgの押し麦を混ぜて、下手すると3か月以上もちます。
開封せずに保管しておこうかともおもったのですが、せっかくなので1合だけ炊飯してみることにしました。
丸皿の大きめのものがなく、とりあえず見つけた皿に盛りつけて、神棚にお供えします。
ほんとうはこれ左右逆なのですが、けっきょく数秒ほどかんがえ、キツネさんの前にごはんを置きなおしました(神棚がせまいので塩は下に置いています)。
この画像だけみると、キツネさんが白飯に飛びかかってるみたいです。