大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
玉依姫を祀る宝満宮です。
寶満宮略記
鎮座地 福岡市博多区空港前四ノ一三ノ三
神社名 寶満宮
祭神 玉依姫命
祭儀 例祭 四月二十四日 十月二十四日
境内
二小祠(一、荒五郎大明神-牛馬の神 二、不詳)
地蔵堂(堂内に「天保六年未四月・・・」の銘)
石像ニ体(薬師如来、千手観音)
境内背後小山頂上 五穀大神
氏子数 五八世帯
旧社殿 弘化三年(一八四六年)建立
本殿 神明造桧皮葺 間口一間奥行一間一坪
渡殿 一間三尺 一間 一坪五合
拝殿 三間 二間二尺 七坪
旧境内地 四〇九坪七六神社有地
旧社格 村社 明治五年十一月三日列格
神饌幣帛料供進指定 昭和八年十一月二日
新社殿竣工 昭和五十四年(一九七九年)三月茲に鎮座する寶満宮は、「筑前国続風土記拾遺」によれば、宝満山麓旧御笠郡内山村(現太宰府市)に鎮座する竃門神社の祭神玉依姫命「神武天皇御母神」を、往時、上臼井村の三宅実秋、平田清蔵が信仰してはじめてこの地に勧請した産土神である。以来、氏子によって代々引き継がれ祀られてきている。勧請年月は不詳
稲作を主な生業とした時代は、山容秀麗な宝満山は、旧席田郡の広い水田地帯を潤す御笠川の水源となっており、水分(みくまり)の神信仰の山として尊崇されてきた。当集落をはじめとして御笠川水系に沿った集落には寶満宮が祀られて在る所もあり、水の神、五穀神として農業・農民を守護してきたと考えられる。
氏子の当寶満宮への崇敬は篤く、祭祀、造営等献身的に関与奉仕してきている。産土神をはじめ境内外に安置の小祠・仏像・石碑などはすべて氏子の加護賜り、また氏子は当氏子区の平穏、秩序、発展及び家々の招福、無病息災、家内安全、繁栄などを祈願する。古くより継承の伝統行事も絶えることなく、今も維持存続している。平成十年十月吉日
町懐之碑
此の地は、福岡平野の中央部に位置し、江戸期より明治二十九年迄の村名は、筑前国席田村大字上臼井と称し、以後、筑紫郡席田村大字上臼井となる。
福岡藩「郡方覚」によれば、文化九年の席田村所属は、下臼井・上臼井・青木・平尾・雀居・下月隈・上月隈・立花寺・金隈の九ヶ村であった。
昭和八年福岡市に編入、福岡市大字上臼井町となり、平成二年二月二十六日、町名改称により、福岡市博多区空港前四丁目となる。
町名改称をするにあたり住民こぞって由緒ある町名を惜しみ、その変遷を記し後世に残す所以である。
福岡藩領で、江戸末期の上臼井の地積は、次のとおりであった。田~五十三町余
畑~四町余
正租米~三百九一石余
戸数~三十九戸
現地の石碑には、玉依姫は神武天皇の母親であるとしっかり彫られてます。
しかし、私たちはすでに戦前の宝満宮竈門神社は玉依姫のほか、応神天皇、神功皇后を祀っていたことを知っています。そして、玉依姫は崇神天皇の母親だったということも知っています。
我々が神武東征と習ってきたものは、九州から畿内への拠点移動(九州王朝の滅亡と簒奪王朝の確立)と四道将軍派遣からつくられた話だというのが、私の理解です。
境内に牛馬の神として荒五郎大明神が祀られた石祠があります。撮影したどちらが荒五郎大明神のものかは、残念ながら眺めてもよくわかりませんでした。
すでに久留米市田主丸町の荒五郎水神社を訪問し、どうやら荒五郎という神様は、豊玉彦のことだろうと見当はついています。
以前にも掲示した想定系図を再掲します。私は豊玉彦が玉依姫の父親と考えており、おそらく、玉依姫との関連があって祀られたのだろうとおもいます。
ここにも、神武天皇の石碑があります。
絵馬堂でしょうか。関係者の写真と絵馬が飾られています。
背後は山になっており、五穀神が祀られていました。
福岡県神社誌:上巻81頁
[社名(御祭神)]宝満宮(玉依姫命)
[社格]村社
[住所]福岡市大字上臼井字宮ノ前
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.01.19訪問)