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すでにこの日記で何度も取り上げていますし、イチからあらためて観光ガイドもどきのことを書く必要は無いと思います。
今回は、八幡宮とはどのような存在なのかを、書いてみようと思います。
私たちは、御祭神が同一の八幡宮と宝満宮があることを知っています。御祭神が応神天皇・玉依姫・神功皇后の3柱となっているケースです。
鶴岡八幡宮や宇佐神宮の場合、御祭神は「応神天皇・神功皇后・比売大神」とあります。公式には「比売大神とは宗像三女神のことである」とされており、玉依姫が消されているのです。
あくまでも推論でしかなく、これから各地の神社をめぐりながら思考を整理しないといけないのですが、おそらく玉依姫は、宗像三女神のひとり 湍津姫のことです。湍津姫の拠点は宇佐であり、宇佐神宮がなぜ「宇佐」に在るのかという点についても、これが傍証となります。
この3人をむすぶ中心人物とは、崇神天皇だと考えています。彼も、八幡宮と宝満宮から、消されています。
高良玉垂宮神秘書には、神功皇后は仲足彦(仲哀天皇)との間に4人、玉垂命との間に5人の子があると書かれています。
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(略)
『神代記』で最も有名な伝承は、神功皇后に関するもので、神功皇后が住吉大神と「密事」があり、俗に夫婦の間柄となったと、いう主旨の註記が付されている。この伝承は神功皇后と関連してしばしば取り上げられる。
(略)
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また玉垂宮神秘書とは別に、大阪市住吉区の住吉大社に伝わる「住吉大社神代記」も重要です。この書物には「住吉大神と神功皇后の間に密事有り」という有名な部分があります。
住吉大神とは玉垂宮神秘書によれば、安曇磯良・崇神天皇・玉垂命の3人のことです。
玉垂宮神秘書と住吉大社神代記が、玉垂命と神功皇后が夫婦であったことを違う表現で記載していると考えることも可能です。けれども、赤貧はおそらく、このふたつは違う人物との関係をそれぞれの立場から記載したものだと考えています。
神功皇后には玉垂命と足仲彦(仲哀天皇)のほかに、崇神天皇とのあいだにも子が居ると考えます。
その子が、のちの応神天皇です。
なぜ消す必要があったのかと言えば、記紀で過去の王朝まで包含した偽歴史を創作した際、真実がばれないように配慮した結果だとしか考えようがありません。
四道将軍を各地に派遣して、日本統一を強力に推し進めた崇神天皇は偉大な存在でした。しかし、あとの世代からみたとき、中華に負けない歴史と伝統があるとアピールするためには、邪魔な存在でもあったのです。彼の功績は、先人の功績に付け替えられ、神話のなかに取り込まれていきます。
もしかすると、意図的に自らを神武天皇と同化させ、わざと「消した」のかもしれません。悪質ですが、まったくその可能性は排除できないと考えています。
八幡宮は、崇神天皇本人が消され、子の応神天皇と、妃の神功皇后と、母親の玉依姫が祀られています。
宝満宮には、四道将軍の成功を祈願した玉依姫を中心として、消された崇神天皇の子 応神天皇と、妃の神功皇后が祀られています。
これが、両社の基本形なのです。
鶴岡八幡宮社殿向かって左手の回廊内に、武内社があります。この武内社も、八幡大神の臣下として武内宿禰を祀る神社であると言うより、先代の支配者である玉垂命を祀る玉垂宮とみるほうが、正しいでしょう。
(2019.12.15訪問)