松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

うきは市吉井町 高橋神社


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現地に到着して案内板を読むと御祭神は「高橋大明神」とあります。福岡県神社誌では水神様が記載されており、どうやら「高橋大明神」とは水神様の呼び名のようです。

みのうの豆本

巨瀬川のほとりにある高橋大明神は昔、河童と神様が相撲をとったといわれているところで、祭神は菅原道真と水分神です。昭和62年、郷土史家の金子文夫氏が発見した慶安3年の古文書「筑後由来」によれば、源氏に攻められた平氏の一族が巨瀬川に追い詰められて戦死し、「河伯」となったとか。別の伝承によれば、巨瀬川の河童の総大将巨瀬入道は平清盛の化身といわれたり、河童九千坊の頭目が配下を従えて棲むと信じられてきました。
その河童供養のため毎年5月には川祭りが行われます。川祭りは、水ぬるむ頃に河童が好きな胡瓜や酒を川中に立てた笹竹につるして供え、子供に事故のないことを祈願するもので、河童相撲は相撲が大好きな河童が水神に挑んでこっぴどくたしなめられた伝承にちなむものです。 古文書の発見をきつかけにできた吉井町河童会が秋の放生会の出世相撲を50年ぶりに復活させ、河童相撲と呼ぶようになりました。昔は横綱雷電とも対戦した吉井町出身の江戸大相撲・岩井川逸八関が満年願で奉公した相撲興行にはじまる盛大な出世相撲でした。九州全土から力自慢が集まって技を競った二百年来の歴史ある取り組みでしたが、最近では背中の甲羅も生乾きのちびっ子河童が主役となりました。

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全景をおさめようとだいぶ離れたところから1枚撮影してみました。相撲をとる河童の石像が、隅に写っています。鉄筋コンクリート造の立派な社殿ですが、デザインが直線的で、どこか神宮や神明社を意識しているようにみえます。

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近づいてみると、いっそうその感はつよまります。

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案内板で元々の高橋大明神に、近隣の3つの天満宮を合祀したとあるだけあって、社殿背後に、お宮、石祠、猿田彦の石碑、石仏がずらりと並べられています。おそらく、それぞれの神社の境内社だったり、御神体だったりしたのでしょう。

うきは市浮羽町妹川 高西郷水天宮(こせのごうすいてんぐう) - 美風庵だより

久留米市大橋町常持 印鑰神社・庄前神社 - 美風庵だより

久留米市田主丸町中尾 平神社 - 美風庵だより

これまでも、筑後川沿いに伝わる平家の伝承を追ってきました。ここも元はそうだったのかもしれません。「高橋大明神」とは、水神さまにかこつけた平家への信仰だったのでしょうか。

福岡県神社誌:下巻421頁
[社名(御祭神)]高橋神社(水分神、罔象女神、菅原道真)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡吉井町大字吉井字高橋
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.09.23訪問)