美風庵だより

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うきは市浮羽町妹川 高西郷水天宮(こせのごうすいてんぐう)


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山歩き 古墳巡り 高西郷水天宮 水天宮の起源を求めて

No.051 久留米水天宮開基の犠牲になった高西郷水天宮 ⑫ | 宮原誠一の神社見聞牒

昭和36年(1961年)に再建された神社であるため、戦前発行の福岡県神社誌には記載がありません。

以前、このブログを読んで興味をもち、ずっと訪問したいと考えていたのですが、なかなか叶いませんでした。
6月28日、やっと初訪問です。
どのような神社であるかは、敢えて屋上屋を重ねる必要はありませんので、上記のブログをお読みいただければと思います。

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現地の案内板に、由来が事細かに記されていました。また、社殿ではお守りが頒布されていました。
水天宮について以前から謎なのは、なぜ安徳天皇と平家を祀る神社が「水神」なのかという点です。
今回、この高西郷水天宮を初訪問して、なんとなく理解できた気がします。おそらく、最初は社殿の脇にある九十瀬水神が祭神のお宮だったのでしょう。それに、こっそりと安徳天皇と平家を併せ祀ったものが水天宮と呼ばれ、水神の性格を帯びるようになったのです。
そう考えれば、源氏方であった有馬の殿様側にも彼らなりの道理はあったことになります。現在の久留米水天宮の創建にかこつけて、平家の落人の里からその精神的支柱を召し上げることは、被害にあった者にとっては悲劇であった一方、為政者にとっては権力安定のために必要でした。

その延長で考えると、水天宮の御祭神になぜ有馬の殿様が天之御中主を加えたかもみえてきます。

要は、崇拝の対象が平家であることが問題だったのです。

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福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.06.28訪問)