美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

嘉麻市熊ヶ畑 愛宕神社


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次の愛宕神社に向かう途中、茗荷紋を発見しました。

茗荷紋 - Wikipedia

戦国時代以後、天台宗の摩多羅神の神紋として用いられた。家紋として用いた文献上(『見聞諸家紋』)の初見は二宮氏である[1]。また、茗荷の音が「冥加」に通じることから、神仏の加護が得られる縁起の良い紋として、神社や寺などで用いられることが多い。

この辺りは平嶋、伊藤、笹尾といった姓が多いのが特徴です。平嶋については現在の行橋市あたりが発祥とのことですし、伊藤も「伊勢の藤原」の略とされていますから、いずれにしても元は移住してきた方々が中心と思われます。

とはいえ、地名は熊ヶ畑なわけで、現王朝から敵対者とされた熊襲(くまそ)に縁があることもあきらかです。そしてなんといっても、ここから近い旧嘉穂町には、大隈町という熊襲の一大拠点があります。

嘉麻市大隈町 北斗宮 - 美風庵だより

嘉麻市大隈町 北斗宮 再訪 - 美風庵だより

田川郡香春町採銅所 古宮八幡宮 - 美風庵だより

この日記の読者にはいまさらかもしれませんが、阿蘇の「阿」は「くま」とも読みます。

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つまり、現王朝は同じ「くまそ」を、敵対者としての「熊(隈)襲」と、協力者としての「阿蘇」と言い換えてきたことがわかります。ほとんどトリックに近いのですが、理由は簡単。そもそも現王朝の祖である天之忍穂耳じたいが、阿蘇の草部吉見であり、阿蘇神社の健磐龍命と兄弟だからです。

そこまで考えると、どちらかと言えばこの地は、現王朝に非協力的な者の拠点であったことは疑いないのですが、天之御中主(妙見さま)や大幡主(博多のお櫛田さん)の足跡がどこかにないものか……。

 

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そんなことを考えながら歩いていると、なかなか入り口がわかりません。

立ち止まり、あらためて地理院地図とゼンリンを見比べます。

どうやら、家のあいだに里道があって、そこから階段がつながっているようです。

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砂利道は途中からセメントで舗装されており、やがて右手に石段が現れます。

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石段を登りきると、鳥居がありました。

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お宮を拝謁させていただくと、左から金毘羅宮、愛宕社、豊前坊と3社祀られています。神社としては加具土命を祀る愛宕神社ということになっているようですが、実際には金比羅権現や豊前坊天狗もあわせて祀られているようです。

どうやら、この祭祀は新しいのではないか?少なくとも、この地域の地主神を祀るものではなく、ここに移住してきた氏族が持ち込んだ祭祀ではないか?

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社殿向かって右側に、お地蔵さんや不動明王などの仏像が3体安置された御堂がありました。

どうやら、神仏分離で無理やり愛宕神社と届け出たもののようで、実態は、神仏習合の世界が色濃く残った、地域の信仰センターに近い存在のようです。

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石段をおりようとして正面を見やると、集落を見渡すことができます。おそらくここに祀られているのは、各世帯が持ち込んだ祭祀や、集落で勧請した祭祀なのでしょう。

古き良き時代の信仰が生き残っていることに、感激してしまいました。

福岡県神社誌:下巻400頁
[社名(御祭神)]愛宕神社(軻遇突智命)
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡山田町大字熊畑字ショブタ
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.07.04訪問)