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(略)
香春岳で産出する銅を宇佐神宮の御神体(銅鏡)として奉納していたことが縁となり、同神宮の御祭神であった応神天皇、神功皇后の神霊を勧請したことに始まるとされる。
祭神としては豊比売命も共に祀られているが、豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。(略)
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久留米市北野町大城 豊姫神社(豊比咩神社) 再訪 - 美風庵だより
豊比咩命(とよひめ)というと、これまで久留米市北野町大城の豊比咩神社などを訪問した経緯から、田心姫(たごりひめ、豊玉姫)のことだろうという先入観がありました。
そのつもりで案内板を読んでいくと、違和感をおぼえます。
しばらく境内で考えているうちに、この神社でお祀りされている豊比咩命とは、田心姫(豊玉姫)ではなく、湍津姫(たぎつひめ、玉依姫)ではないかと気が付きました。
大山咋と玉依姫の子が崇神天皇です。ここは、崇神天皇の母を祀る神社だということになります。
わかりやすく言えば、ここは宝満宮の別バージョンなのです。
この香春町採銅所地区を中心とした一帯は、鉱物資源の豊富な土地柄でした。
近くには、いまはセメント山になっている呼野金山があり、一部の研究家が(本当の)天乃香久山だったと目している香春岳もそう離れていません。
採銅所(さいどうしょ)は、福岡県田川郡香春町の地名。1889年(明治22年)[1]から1956年(昭和31年)[2]まで採銅所村があった。地名の由来は、かつて香春岳中腹で銅が採掘されていたことによる。同鉱山の銅は東大寺大仏の建立や宇佐八幡宮の神鏡にも用いられた。鉱山の跡地は、現在史跡・神間歩となっており、周辺に神間歩公園が整備されている
この地は、おそらく崇神天皇の母 玉依姫を祀る重要な祭祀場だったのでしょう。やがて宇佐神宮が創建されるにあたり、御神体(鏡)を奉納したのも、その縁があったからにほかなりません。宇佐神宮よりも古いお宮なのです。
宇佐族が奉斎した湍津姫(玉依姫)を、なぜ、豊比咩命(豊玉姫)としてお祀りしたのでしょうか。
おそらく記紀で、山幸彦(彦火火出見尊・猿田彦・五十猛命・饒速日)と豊玉姫(豊比咩命・田心姫)の子が鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)とされており、鵜葺草葺不合命の子が「神武天皇」とされていることと関係があります。つまり、王朝の正当性を偽証するために系譜をいじった際、両者をわざと混同したのです。この神社もまた、香春神社同様、現王朝と藤原氏による皇統背乗りの証拠と言えます。非常に貴重な存在です。
案内板には香春神社のある場所の地名が「阿曽隈」であるとはっきり記されています。つまり「阿蘇」の「熊」襲の拠点なのです。これは天之忍穂耳が熊襲からの入り婿であることと関連しています。もっと言えば、「阿」とは「くま」であり、(男のなかの男というに近い)「熊襲中のくま」とでもいうべき表現なのです。
社殿向かって左側にあるのが白鳥神社のようです。これだけでは本当に仲足彦(仲哀天皇)の子 日本武尊の足跡地なのか、彼に仮託した九州王朝のお宮(要するに玉垂宮)なのか、判然としません。いずれこの点も、調べてみなければ……。
石段をおりて真正面にある平屋の建物をよく見ると、香春町役場採銅所支所とありました。
農協の支所も近く、駅もあります。どうもこの神社を中心に、採銅所地区の中心地が形成されていったようです。
福岡県神社誌:中巻184頁
[社名(御祭神)]小頭神社(豊比咩命、応神天皇、神功皇后)
[社格]村社
[住所]田川郡採銅所村大字採銅所字鷹巣
[境内社(御祭神)]白鳥神社(日本武鳴尊)
(2020.09.12訪問)