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2019年7月に訪問した北斗宮を再訪しました。
半分は築山の上に掛けられた神橋と石段、そしてなかなか立派な本殿の細工に、往年の繁栄を偲ぶことができます。基本的な考えは以前のままで、妙見信仰を奉じた熊襲の拠点という見方がおそらく正解だろう、という点もかわりません。
しかし、福岡県神社誌に掲載された摂社・末社を眺めていると、たんなる北斗大明神を祀る妙見信仰のお宮というより、大幡主と大山祗(月読命)の影響下でもあったことに気づきました。
いまの北斗宮の境内を歩いていても、比較的大きい摂社はお稲荷さんと大楠神社が参道の中途にあるだけです。
背後の末社3社のうち、真ん中のひときわ大きいものは「一万神社」と読めます。これは、よろずの神を統べる天之御中主のことでしょう。となると、左右の石祠は、ほんとうにイザナギ・イザナミを指すのでしょうか。実際のところは、大幡主(神皇産霊神)と大山祗(月読命)ではなかったのか?とも思えてきます。
なぜ大祖神社でも妙見宮でもなく、北斗大明神だったのか。妙見信仰とひとくくりにせず、この細かい違いを感じないといけなかったようなのです。
妙見信仰のお宮が神社に衣替えするにあたり、御祭神を決めなければなりませんでした。そのときに、帳尻があわない、都合の悪い元の御祭神が、摂社・末社に分散配置されたのではないでしょうか。
ただ、どうも社頭の石碑を読んでいると、末社3社の左右の石祠に、どうも大山咋(大物主)を祀る松尾神社と、恵比須神社を充てているようにも読めます。どうも埴安命(大幡主、神皇産霊神)と、大山祗(月読命)の姿は消されてしまったのでしょうか。それとも、天之御中主からみて弟(大幡主)や息子(大山祗)も祀られている熊襲の一大拠点であることは、徹底して秘すべきことだったのでしょうか……。
1年前は妙見信仰を持ち込んだ熊襲の拠点であるという点のみを眺めていましたが、思った以上に天之御中主とその血縁者の姿が見え隠れする、大拠点ではなかったか?というのが現在の率直な感想です。
松尾神社と恵比須神社は、おそらく後世に追加してお祀りされたものではないでしょうか。どうもこの二つが、ほかの御祭神の顔ぶれと比べて異質ですし、世代もかなり違います。ほぼ1年ぶりに再訪して、やはりここも相当な古社であることを再確認しました。
神功皇后伝承を創建の由来としている神社よりも、さらにもう一段古い存在であり、少々境内の手入れが出来ていないのが残念です。大隈の町も寂れるばかりで、仕方がないのでしょうけどね……。
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過去の訪問記録
嘉麻市大隈町 北斗宮 - 美風庵だより
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福岡県神社誌:上巻306頁
[社名(御祭神)]下益神社(伊弉諾、伊弉冉、天之御中主)
[社格]県社
[住所]嘉穂郡大隈町大字大隈字宮山
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原神、高淤加美神、埴安命、玉姫神)、大楠神社(天照皇大神)、松尾神社(大山咋命)、稲荷神社(倉稲魂命、事代主神、恵比須神)、貴船神社(高淤加美神)、山神社(大山祇命)
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(2020.05.31訪問)