ほかの神社を訪問した際の感想をまとめていたところ、加茂大御神を崇神天皇と同一視した場合、一世代ずれることに気づきました。加茂大御神は豊玉彦かその一族であり、豊玉彦の娘である玉依姫の子 崇神天皇とは別と考えるほうがしっくりきます。豊玉彦の実父は大幡主(おおはたぬし)であり、うきは市山北の加茂神社の神職が波多(はた)氏であったことを持ち出すまでもなく、畑・秦・羽田・波多の各氏の起源であるとも説明がつくのです。ほんらいは改稿すべきなのですが、とりあえずは発表当初のままとします。
(2019.12.30追記)
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10月5日、午前中はマンションのガス法定点検でしたので、午後から田川方面に神社めぐりに行きました。今回の訪問対象は、8月にピックアップしておいたにもかかわらず、疲れて訪問を後回しにした神社です。
現地に到着してクルマを停めようとすると、周囲は路駐だらけです。なにごとかと思いつつエンジンを切ってドアを開けると、太鼓の音がします。
神社は、ちょうどお祭りの真っ最中でした。社殿はどうやら昭和44年(1969年)に再建されたもののようで、コンクリート造です。八幡宮らしく三つ巴紋があり、小笠原家の三階菱紋もあります。どうやら、三つ巴紋も三階菱紋も両方御神紋としているようです。とにかくひとが多く、社殿のなかに入ることもはばかられます。いちおうぐるりと社殿の周囲を一周したのですが、背広にネクタイ姿でしゃがんでいた老齢のかたから不審がられ、神社について研究している者で、たまたま立ち寄った旨を伝えると、紙コップでお茶をくれました。ありがたいことです。
この神社が興味深いのは、この由来書きにあります。
過去の日記でも触れましたが、玉依姫は複数居ます。片方は、神武天皇の母であり、もう片方は、崇神天皇の母です。崇神天皇の母親のほうは、豊玉彦の娘で鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の妃であったのは間違いありませんが、この二人の子は安曇磯良であり、大山咋と玉依姫のあいだの子が、崇神天皇です。意図的に、出自を煙に巻いています。
このことに気づくと、宝満宮と八幡宮の御祭神が同じだったりすることの理由がみえてくるのです。要は、崇神天皇本人からみて母親がメインか、息子と嫁がメインかの違いです。
神功皇后は、足仲彦、玉垂命、崇神天皇の3人とのあいだに子があることになります。
では崇神天皇本人を祀るのはどこでしょうか。賀茂神社なのです。
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[福岡県神社誌(抄)] 下巻179頁
[社名(御祭神)]鶴岡八幡神社(誉田天皇、神功皇后、玉依姫命)
[社格]郷社
[住所]田川郡勾金村大字中津原字宮尾
[境内社(御祭神)]高良神社(武内宿禰)、愛宕社(加具土神)
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(2019.10.05訪問)