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久留米市・北野天満宮下宮に移動する途中、築堤の上から鳥居が見えたので訪問しました。福岡県神社誌では、旧村社とあります。久留米市日吉町には「久留米宗社日吉神社(http://kurumesousya.main.jp/hiyoshi/)」がおられますので、その絡みかと思ったのですが、別に勧請されたものかもしれません。
境内には天満宮の扁額が掲げられた鳥居もあります。
境内社が5つずらりと並べられており、向かって右側から、宮地嶽大明神、えびすさま、天満宮、天満宮ときて、最後のひとつはわかりませんでした。福岡県神社誌の記載を読むかぎり、おそらくは罔象女神(ミズハノメ、水神、龍神)を祀る水神社だったのでしょう。
疑問なのは、宮地嶽大明神が無視されていることです。玉垂命を消さなければならない理由があったのか……。それとも、福岡県神社誌のあとに、ここに並べられたのか。
社殿を見わたしていると、剣花菱紋がついています。
筑紫野市・山家宝満宮には葵祭の伝承があったと福岡県神社誌に記載されています。玉依姫と大山咋は夫婦神で、ともにほんらいは葵紋を使うのです。京都の賀茂神社が、じつはその祭祀を忠実に受け継いでいます。京都を代表するお祀りの起源は、この九州にあります。
なお、同じ宝満宮でも宝満宮竈門神社は桜紋を使用されているようです。桜紋は、大山祇とその娘さんコノハナサクヤヒメが使われるもので、博多櫛田宮で天照大神に桜紋を充てているのは、おそらく大山祗かコノハナサクヤヒメが入れ替えられたものとみています。
じつは竈門神社の神様は、玉依姫ではない?そんなことも、考えてしまうのです。
剣花菱は、筑紫君関係でみかける御神紋であり、大山咋や玉依姫とは関係なさげですが、この組み合わせが現にある以上、さきに筑紫君関係の種族が展開した地に、大山咋や玉依姫への信仰があったとみるのが自然かもしれません。
(2019.07.27訪問)