松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

糟屋郡宇美町宇美1丁目 宇美神社(宇美八幡宮)

過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)

現地のようす


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宇美八幡宮(公式ホームページ)

宇美八幡宮 - Wikipedia

立派な構えの御神門があります。

社殿のつくりも立派です。拝殿が縦入り、渡りがあって、本殿という黒田藩領でよくみる形式ですが、大きさと立派さのけたが違います。

境内末社「湯方社」を囲むように、玉垣を築きこぶし位の石が山ほど積まれています。
安産祈願を終えた妊婦が“お産の鎮め”として此処の石を預かって持ち帰り、目出度くご出産の暁には、別の新しい石にお子様の名前等を記して健やかなる成長を願い、安産御礼(初宮詣)の御祈願にてお祓いの後に、預かった石と一緒お納めするのが慣しとなっています。

子安の石|子安の杜 宇美八幡宮

湯方社 (ゆのかたしゃ)
御祭神 湯方殿(助産師の祖神)
湯方大神、又は湯方殿とも称され、應神天皇御誕生の際、産婆の役として功績により、第三十代敏達天皇の御世(約1450年前後)本宮御創建の時にお祀りされたと伝えられています。

湯蓋の森|子安の杜 宇美八幡宮

社殿の背後、社殿正面から向かって左手に子安石と湯方社があります。

子安石・湯方社の右手に「聖母子像」があります。神功皇后と応神天皇の姿を示しているのでしょうか。

さらに右手に「武内社」。武内宿禰公を祀ります。

聖母宮(しょうもぐう) 皇后御殿
御祭神 神功皇后(じんぐうこうごう)
主祭神應神天皇の安産に因む信仰から、その「母后・神功皇后」に対する特別の崇敬を以って、宝永3年(1706)当時の藩主・黒田綱政公により寄進されました。

聖母宮|子安の杜 宇美八幡宮

画像左手が「恵比須神社」、右手が「聖母宮」です。

福岡市東区香椎4丁目 香椎宮 - 美風庵だより

現在、福岡市東区にある香椎宮は、江戸時代「聖母宮」でした。本社にあたる香椎宮は足仲彦を合祀して聖母宮の痕跡を消していますが、各地にこうやって元の姿はのこっています(神社本庁教もどうせならぜんぶ上書きすればいいのに……できっこないでしょうが)。

産湯の水 うぶゆのみず
県民俗資料重要文化財
境内北隅にあり、「應神天皇御降誕の時、此の水を産湯に用い給いしより今に至るまで妊婦拝受して安産を祈る。」と伝えられています。

産湯の水|子安の杜 宇美八幡宮

境内でほかにひとの気配がなかったのは、この応神天皇の産湯につかった湧水の地で「産湯の水:うぶゆのみず」と呼ばれています。

元禄2年(西暦1689)
貝原好古「八幡本紀」第三巻
「神功皇后新羅より帰らせ給い、香椎より巽の方蚊田の邑に御産屋を営まれこもらせ給う、御側に生い茂れる楠あり、其の下にて産湯をめさせ給う、その大木繁茂し枝葉ことにうるわし、後人これを名付けて湯蓋の森という。また産衣を掛けたるを衣掛の森という。」

湯蓋の森|子安の杜 宇美八幡宮

上記の画像は「衣掛の森」というクスノキの古木です。

こちらのクスノキの古木が「湯蓋の森」と呼ばれています。

社殿を取り囲む玉垣のそとに、お稲荷さん(楠森稲荷大神)が鎮座しています。

 

これで、4か所目の「蚊田」を訪問しました。

応神天皇 - Wikipedia

母は気長足姫尊(神功皇后)。異母兄に[鹿+弓+耳]坂皇子と忍熊皇子がいる。神功皇后の三韓征伐の帰途に筑紫の宇瀰(神功皇后紀。うみ:福岡県糟屋郡宇美町)、または蚊田(応神天皇紀。かだ:筑後国御井郡賀駄郷あるいは筑前国怡土郡長野村蚊田)で仲哀天皇9年(若井敏明によると西暦367年)に生まれた

久留米市北野町大城 豊比咩神社 - 美風庵だより

飯塚市大分 大分八幡宮 - 美風庵だより

小郡市八坂 若宮八幡神社 - 美風庵だより

これまでにもいくつか「うちこそが蚊田だ」と伝承がある地域を訪問してきました。

今回の糟屋町の宇美八幡宮で4か所めです

あと糸島市にも宇美八幡宮がありますが、こちらはまだ訪問できていません。

北九州市門司区奥田4丁目 淡島神社 - 美風庵だより

和歌山県和歌山市加太の淡島神社には「住吉神の妃神」を祀るという話があります。

この日記の読者なら御承知のとおり、高良玉垂宮神秘書では、住吉三神のひとり底筒男尊は高良玉垂命であり、足仲彦死後、神功皇后を妃とします。そしてその神功皇后を祀る神社の地名が「加太」。

神功皇后伝承と「蚊田・賀駄・加太」の地名は切っても切り離せない関係にあるのです。

 

福岡県神社誌の内容(抜粋)

福岡県神社誌:上巻99頁
[社名(御祭神)]宇美神社(品田別天皇、息長足姫命、玉依姫命、住吉三柱神、伊弉諾命)
[社格]県社
[住所]糟屋郡宇美町大字宇美字本村
[由緒]当社は神功皇后三韓征伐より帰り産所を蚊田の邑に定め給ひ、(蚊田は字美の古名)香椎宮を出で産舎に入らせ給ふ。側に生出づる槐の木の枝に取すがり、たやすく分娩し給ひ、応神天皇を産みまいらせ給ふ。依て此地を名けて宇美と称す。御産所の傍に生茂れる楠の下にて湯をめさせ給ふ。其の楠を名付けて湯蓋の森と云ふ。(今に在り)産湯をまいらせし官女を湯方殿と号す。(今末社にあり)此時三韓は帰服すと雖、筑紫には尚異なる心を挿む人もやあらんと、産舎の四辺に八つの幡を建て兵士をして守らしむ。後世八幡大神と称するは此故なりとかや。胞衣を産舎の後なる川にてすすぎ山に置き、(今エナガウラと云ふ)処を選んで箱に入れ葦津の浦に納め、其の上に松を植えて標とし給ふ。其の処を改めて箱崎と云す。其の松を標の松と号す、分娩の時に取すがれし槐今に其の種を絶さず。(今に在り)古は宇美宮の槐とて、皇后皇女を始め産平安の衣木には必ず此槐を用ひられしとなん。されば平安の幸ある木なればとて子安の木と名づけらる。実にも宇美邑は八幡大神降誕の霊地なればとて、敏達天皇の御宇に宮柱太敷建てて神功皇后と八幡大神とを祭らせ給ふ。(年月不詳)後世に至りて五座となる。(年月不詳)古は朝廷より下万民迄殊に尊崇在りし故、封戸神田も多く寄附せられ、祠官社僧七十余人あり。宮造りも宏麗なりしが、応仁より天正に至り久しき世の乱にて社も兵燹にかかり、神田は暴逆の武士に奪はれ、猶ほ残りしは秀吉の時悉く没収せらる。
明治五年十一月三日村社に定めらる。明治二十四年八月五日県社に御昇格ありたり。
古事記中巻曰、懐妊臨産即為鎮御腹取石以纏御裳之腰而渡筑紫国其御子者阿礼座故号其御子生地謂宇美也。日本書記第九巻曰、皇后従新羅還之十二月戊戌朔辛亥生誉田天皇於筑紫故時人号其産所曰宇瀰也。
今鏡第三男山の條に左の文あり(近衛天皇御誕生前御祈願)鼇海の西にはうみの宮御産平安たのみあり鳳城の南には男山皇子誕生疑ひなし。

詠産宮古歌 万代集
 諸人をはぐくむちかひありてこそ うみの宮にはあとをたれけめ (家隆卿)
拾玉集
 かけまくもかしこけれどもうみの宮 我頼む君にしるしあらはせ (慈鎮和尚)
夫木集
 朝日さす香椎の杉にゆふかけて くもらずてらせ世をうみの宮 (西行法師)

八幡宮本紀巻之三御産の時取すがらせ給ひし槐の枝はやがて根ざして大木となりけるとかや、其後度々植えかへしといへども其本所をたがへず其種子を絶さず今にあり、古は宇瀰宮の槐とて皇后皇女を始奉り御産平安の御祈の御衣木には必ず此槐を用ひられしとなん、されば平安の幸ある木となればとて子安の木と名付けける。

子安の木といふ古記録に
寛政十一年十二月十四日 内勅の使者 司馬中務 中宮御安産御祈願の為参拝あり。
同 十二年正月二十三日 皇子御降誕(仁孝天皇)
同 十二年二月二十三日 司馬中務 御使者として報賽の為宇美宮に参拝あり。
[ご神木] 神功皇后三韓より御凱旋後蚊田の里(宇美の古名)に産殿を営ませ給ひ槐の枝を折りて之に取すがらせ給ひて御安産あらせらる、其の枝を地に挿しありしもの次第に生茂りて今に存す。安産に幸ある木なればとて子安の木と称せらる、当時の木は代り居れ共其の種を絶さず其の処もかへず御神木として尊重せらる。
神殿の左(向て右)にある大楠は御降誕の際其下蔭にて産湯を仕奉りしが其後大に繁茂し殊に枝葉麗し名付けて湯蓋の森といふ。其大さ目通り約五十尺あり又神殿の右にありて当時産衣を掛たりし楠を衣掛の森と名付け目通り約七十尺あり共に我国稀有の名木なり。
大正十一年三月史跡名勝天然記念物保存法により内務省より保護せらる。之に次ぐ大楠数十本あり何れにも古来樹皮の間に無数の蜷貝寄生し曾て絶ゆることなし古木たるを証するに足る。
[産湯の水] 産湯の水は境内の北隅にあり、応神天皇御降誕の時産湯に用ひしより今に至るまで妊婦拝受して安産の霊水とし、又は産湯に和して産児の健康を祈る。
[子供預けの御祈願] 小児無事成長のため五歳、十歳又は十五歳等成長預けの祈願(一般に子供預けと称す)をかくる慣例あり愛児に対する至情として近年益々増加しつつあり。
[御胞衣の霊蹟] 応神天皇の御胞衣を奉置せし霊蹟にして御宮の後方神苑内にあり胞衣浦と称す。
[「応神天皇御降誕地」の碑] 右八大文字は明治二十四年八月有栖川一品大勲位熾仁親王殿下御揮毫奉納あらせらる、依て直に碑に篆刻して境内に建立せり。
[御供田] 応仁天皇御降誕後神功皇后と共に大分の宮に越給ふ時、柳の御箸を添へて御飯を献りし古蹟なり。柳原といふ御供田あり、其処に湧出る出水にて稲作し清潔の肥料を用ひ人は祓を受けて耕作す祭典の時其米を神饌に供ふ、人々に頒ち与ふるは此御米なり。
[境内社(御祭神)]須佐神社(素戔嗚命)、生目神社(平景清霊)、塞神社(猿田彦命)、五穀神社(保食神)、大名持神社(大国主命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.05.14訪問)