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地元の皆さんが清掃奉仕をされているなか、初めての訪問です。
まず、現地の案内板をご覧ください。
奇怪としか言いようがない内容です。久しぶりに難物に出会いました。
最初のつっこみどころは、貴楽という私年号でしょうか。
そしてなんといっても「応神天皇の皇統が絶え」の部分は、頭痛すらし始めます。応神の皇統が絶える……今の皇室はどこから来たのだ?
清掃奉仕をされているかたに、
(1)一般的に若宮と名のつく神社は仁徳天皇を祀っている点
(2)神功皇后が祀られていない点
(3)蚊田郷であると名乗る場所はほかにも存在する点
について質問したところ、判らないとのこと。福岡県神社誌の記述と、現地の案内板をたよりに、推測を積み重ねるしかなさそうです。
赤貧のまずしい能力でいろいろ考えてみました。おそらく、ここに祀られていたのは、玉垂命(筑紫君)の子 仁徳天皇だったのでしょう。武内宿禰は、玉垂命(筑紫君)を隠すための仮託先です。ほんらいなら玉垂命と表記されるべきなのです。
最初はこの親子を祀る神社だったのでしょうが、やがて王朝交代を忖度して、隠さざるをえなくなったのでしょう。
その際、仁徳天皇の代わりに充てられたのが、崇神王朝の皇子である(後の)応神天皇でした。若宮なのに仁徳天皇が居ないのは、そのためです。応神の父 崇神天皇は三筒男命(住吉三神)の中筒男命であることは、玉垂宮神秘書にあるとおりです。応神に主祭神が上書きされたとき、中筒男命も祭神に加えられたのでしょう。
その点に着目すれば、境内の松尾神社の存在もわかります。松尾神社の御祭神は大物主こと大山咋であり、崇神天皇の父にあたります。清掃奉仕のかたが写りこむため、松尾神社とおぼしきお宮を撮影できませんでしたが、元々の玉垂宮や若宮社としての祭祀を、崇神王朝の神々で上書きしたことを示す、重要な存在なのです。ただ、福岡県神社誌では大己貴(大国主)を祀るとされており、ここもまた、意図的に隠されているのです。
松尾神社がなぜ大山咋ではなく大己貴なのか、参道脇の八坂公民館にある諏訪明神の石碑が、ヒントになるかもしれません。建御名方の嫁は八坂刀売(やさかとめ)神であり、この神社の旧住所は三井郡味坂村大字八坂です。そこに建御名方が諏訪明神として祀られています。彼は、大己貴(大国主)とともに筑紫君を支えた熊襲の親分です。
どうもこの松尾神社も、頭も尻も隠す気がなく、ただ名前を崇神王朝関係者のお宮に書き直しただけのようなのです。
武内宿禰(玉垂命=筑紫君)が残っていることと言い、松尾神社の件と言い、決して地元も素直に上書きに応じたわけでもなさそうです。
2019年11月に、名古屋市内の若宮八幡宮を訪問しました。もしかすると同じ系統で考えたほうがよい存在なのかもしれません。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻173頁
[社名(御祭神)]若宮八幡神社(応神天皇、武内宿禰、三筒男命)
[社格]村社
[住所]三井郡味坂村大字八坂字拝殿免
[境内社]天満神社(菅公)、松尾神社(大己貴命)
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(2020.02.02訪問)