おおむかしに有名なところだから行ったほうがよいと言われて一度来たきりだった大分八幡宮に行きました。楼門は流れ三つ巴紋と並び矢羽紋のようです。
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大分八幡宮 - Wikipedia
奈良時代の神亀3年(726年)に創建された。社伝によればこの神社がある場所は神功皇后が三韓征伐の帰途、一時逗留した地であるという。
『筥崎宮縁起』(石清水八幡宮記録)によれば、平安時代の延喜21年(921年)箱崎浜(現福岡市東区箱崎)への遷座の託宣があって、延長元年(923年)に遷座したのが筥崎宮の始まりであるとし、宇佐神宮の託宣集である『八幡宇佐宮託宣集』にも筥崎宮の神託を引いて、「我か宇佐宮より穂浪大分宮は我本宮なり」とあるが、筥崎宮へ遷座した後も九州五所別宮の第一社として篤く信仰されていた。
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神功皇后が応神天皇を産んだ場所は、一般的には宇美八幡宮とされています。しかし、応神紀は、「筑紫」の「蚊田」としか記載していないため、他にも数か所が候補とされてきました。この大分八幡宮も、そのなかのひとつです。
駐車場の脇に、応神天皇が産湯をつかった井戸があります。社殿が焼失して場所もすこしずれているため、後世に作り直されたものでしょうが、それでもここにそういう言い伝えがあること自体が、希少です。
社殿は立派なのですが、しょうじき、摂社末社の管理が雑に感じました。
神職が居て毎日巡回していれば、虫が飛び込んで腐ったコップ酒がそのまま放置されているのはどうかと思いますし、「事代主社」と言いつつ、扉が開いていたので拝見すると、恵比須さまの横に笹竜胆紋の誰かがおられます。福岡県神社誌を読んでも笹竜胆紋を使いそうな摂社・末社の御祭神は居ないし……。
せっかく、宇佐神宮の元宮という伝承があるのだから、手入れしてアピールすればもっと売り込める気もするのですが……。裏山の祠に行くにも草ぼうぼうで歩けない……。
帰路、(口直しに)飯塚市内野の老松宮に立ち寄りました。どうもこちらのほうが性に合うようです。先日、はじめて訪れて驚いたばかりですが、しばらくは、通りかかったら必ず立ち寄る場所になりそうです。
(2019.06.25訪問)