過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.07.28)
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訪問したのは2023年2月2日で、地元関係者による節分祭の飾りつけ中でした。
作業中の関係者のかたが写りこむため由緒書きの画像が出せませんが「大治3年(1128年)8月14日、筑前国宗像神社(現宗像大社)より御分霊を現在地に勧請した」「筑前国宗像大社より直接御分霊を勧請した神社は全国にも数社しかなくそ(の)うちの一社でもあります。」とあります。この宗像大社から直接勧請されたという点が、郷社とされた理由のようです。
伊東尾四郎 編『企救郡誌』,伊東尾四郎,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1171034 (参照 2023-02-04)
福岡県神社誌でもよくわからず、企救郡誌の該当ページを繰り返し読んでみるのですが「誰がどういう目的で宗像大社を勧請した」という点がわかりません。
いずれの資料にも書かれているのは、細川忠興公が慶長11年(1607年)に当地で干拓事業をはじめるにあたり、もともと崇敬していた宗像大社の分社という縁で、本殿・幣殿(渡り)・拝殿を造営寄進されたという点です。
境内社4社は、一か所にまとめられています。
画像左手から、国守神社、天満宮、天疫神社、八坂神社でした。
※境内社の表記は、誤植とおもわれますが原本ママ。
福岡県神社誌:下巻154頁
[社名(御祭神)]宗像神社(多岐都比売命、多紀理毘売命、市寸嶋比売命、事代主神)
[社格]郷社
[住所]企救郡曽根町大字曽根字勝圓
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]八坂神社(天満宮)国守神社(危神社)、大疫神社、水神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.02.02訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。