松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市中央区今泉1丁目 若宮神社


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道をはさんで反対側はアップルストアやジュンク堂書店などがある、福岡でも都心部です。そうはおもえぬ静けさがただよいます。

手前の建物には社務所の表札がありました。無人のようです。

狛犬さんと目があったので1枚撮影してみました。

若宮神社由緒略記

御際神 豊玉姫命
例祭日 例祭 十月十三日、夏越祭 七月三十一日

由緒
祭神豊玉姫命は彦火々出見尊の皇后即ち鵜葺草葺不合尊の御母、神武天皇の御祖母にあたらせ給う。
昔聖武天皇の御代(七二四~七四九)冷泉の津に内外船舶の出入盛なりし頃海上安全また当地鎮護の神として萬町(舞鶴一丁目附近)に鎮座まし、その後正徳三年(一七一三)今の地に遷し奉れり。
当社は商売繁昌、火難水難除け並に安産育児の守護神として久しく世に崇敬せられ給う。遠近よりの信仰日に月に厚く加え霊験殊にあらたかなることは縁起に於いても明らかなり。
明治五年(一八七二)村社、昭和二十八年(一九五三)宗教法人若宮神社となる。

縦長の拝殿に渡り、そして覆屋のある本殿です。

お堂なのか、それとも境内社を祀るお宮なのか、カギがされているため外観から判別できません。

訪問当日(2023.1.26)は気温が氷点下で、手水鉢に氷が張り、ひしゃくからつららが伸びていました。

若宮神社の由来

ご祭神 豊玉姫命(子どもの神様)
御祭神の豊玉姫命は彦火々出見尊(神話のやまさちひこ)の皇后で鵜萱草葺不合尊の御母、神武天皇の御祖母にあたられ、美しいお姫様として知られています。

当社のはじまり
聖武天皇の時代(七ニ四~七四九)太宰府や鴻臚館に向かう海外使節の船舶の港として開けていた萬町(今の舞鶴一丁目附近)に海上安全と土地の守り神として若宮神社はお祀りされたと伝えられています。
その後、施薬院があった薬院町にお遷りになり、さらに正徳三年(一七一三)社殿を現在地に建立しました。当時は境内に真言宗仁和寺の末寺として施薬山延寿寺正全院がありましたが、明治初めに廃寺となっています。
明治五年(一八七ニ)村社に指定、昭和二十八年(一九五三)宗教法人若宮神社となりました。

ご神徳
昔から商売繁昌ならびに子供の神様として広く崇敬されてまいりましたが、延宝六年(一六七八)市中に大火が起こった際、若宮神社の社殿を始め附近の家々はその火災を免れ、火難水難除けの霊験あらたかな神様としてもますます知られるようになりました。

槐の木(子安の木)の由来
神功皇后は三韓御親征の後、蚊田の里(現在の宇美八幡宮あたり)に産殿をお作りになり槐の枝を折り取りすがられ無事安産されたことから、安産に幸ある木(子安の木)と称されるようになりました。当社境内にも槐の木があったことから安産や子供の守り神として広く崇敬されています。

福岡県神社誌:上巻71頁
[社名(御祭神)]若宮神社(豊玉姫命)
[社格]村社
[住所]福岡市若宮町
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。社説に曰く、若宮神社略縁起には福岡市大字今泉八反田鎮座、御祭神は豊玉姫命にして海神の御娘、天津日高彦火々出見尊の皇后にして鵜草葺不合尊の御母神、神武天皇の御祖母の当らせ給へり。
此の神は海上安全商売繁昌竝に夫婦和合安産育児の守護神として世に崇敬せられ給ひ、当社の御鎮座は、聖武天皇の御時冷泉の津に内外船舶出入盛なりしにより、海上安全当地鎮守の神として今を距ること約千二百年前今の市内萬町の地に鎮座ましませり、(本社の遺跡あり)
其後薬院町に御遷座ありしと伝へらる(薬院町は上古施薬院を置かれし所なり)。又慶長年間黒田長政公清浄の地を撰び今泉八反田に宮所を移され代々崇敬浅からず、近くは長成公奉賽の為御染筆(稜威)の額面を奉納せらる。
筑前国続風土記に曰く、薬院町にあり、祭る所の神は海神の娘豊玉姫也、古昔は毎年九月十二日に住吉の神輿此の宮迄下らせ給ひ爰に一宿し給ふ、翌十三日に御帰座あり、祭礼も住吉と同日なり、住吉の相殿に葺不合尊おはします、民俗は此神を称して住吉の母神也と云ふ、若宮と称するは住吉の御子のやうに聞え侍るいぶかし、今は住吉の神輿わたらせ給ふことは絶たりと云へども、九月十三日にかたばかりの祭礼を執り行へり其の社僧の坊舎を施薬山延壽寺正全院と号す。
福岡県地理全誌に彦火々出見尊と約しし事違ひしとてふつくみて海に隠れ玉ひけれども、万代不易の神なれば社を号して若宮とは申し侍るとかや、其は住吉宮の神輿神幸あり住吉相殿の葺不合尊の母神観礼し給ふ意なり、昔は萬町にあり、社の辺まで潮来る、築城の時移る、正徳三年現地へ遷座、水徳の神なり、薬院の囘禄に神体危なからず宮司正全院の開基せる正全院は真言仁和寺末にして施薬山延壽寺と云、明治の初め廃す。若宮大明神縁起に延宝戌午の年此町に同禄の災侍りしが、所せまく作りならべし商家の側にある御社なれば、火災まぬがれ玉はずといふとも、水徳の御神なればにや、火敢て神体に近づかざること不思議なれ(中略)人皆此の神の御徳に感応して父子孝順、夫婦和睦、育児平安、子孫繁昌して、是をおかして大成に及しなば、国安く天下平にして聖壽万歳、大将軍武運長久君国苗裔ますます繁昌ならん事是必然の理也。
[境内社(御祭神)]恵比須神社(事代主神)、大神宮(天照皇大神)、稲荷神社(宇賀魂神)、厳島神社(田心姫命)、菅原神社(菅原神)、事比羅神社(大国主神)、豊受大神社(豊受姫大神)、厳島神社(宗像三神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.01.26訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年1月26日の日録 - 美風庵だより