松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年3月4日の日録。

院卒問題でふと思うこと。

そもそも「高度人材!」という言葉は飛び交っているのに、博士号の価値を認めないとは、私には理解不能なのですが、「博士号取得者を採用しても、即戦力にならない」「年齢と給与が高いわりに手間ばかりかかってしまう」「博士号取得者はプライドが高くて、使いづらい」との声もチラホラ。
経団連は今回の調査結果を受け、企業には必要な専門性を備えた求める人材像を示し、職務を明確にしたジョブ型採用や通年採用を通じて多様な人材に門戸を開くよう呼びかけた、とのことですが…。 

止まらない日本の低学歴化。博士号取得者が採用されぬ我が国の行く末 - ページ 2 / 2 - まぐまぐニュース!

理系は比較的学位取得が評価される世界ですが、しょうじき文系は学位がそのまま肩書になるのはMBAくらいでしょうか。法科大学院にしても、べつに法科大学院を卒業したら弁護士の資格がもらえるわけではありません。司法試験はべつに存在します(医学部と医師国家試験の関係と同じです)。司法試験三振して、一般企業に就職したり公務員になった者も居ます。なかには弁護士になれなかった代わりに政治家になっちゃったひとも居ます(いちおう行政書士は持ってるそうですが)。

むしろ国公私立問わず田舎の三流大学でも見栄と意地で博士課程がある大学院を持っている現状のほうがおかしいのではないか?という気がします。院卒が余るわけです。

私が学生のころ、内部から「母校の院に行きたい」と申し出ると、まず指導教官(予定)との面談があり、つづいて事務官との面談がありました。正式受験前にダブルで「入学はできるけど卒業後どうするんだ?学位もらったあと飯が食えるアテがあるのか?」と説得されます。逆に優秀な学生には、我々一般学生が院に残りたいと言い出すまえに母校に残らないかと声掛けがあります。そういう優秀な学生は目鼻が明いていますから、あえて地方大学の院に残ったりはしません。関東関西の名の知れた大学を目指します。院を出てそれが活かせるなんらかの仕事にありつこうとすれば、そこの大学が過去に築き上げたコネに頼るしかありません(なんだかんだ言って付き合いのない大学の院生を専任講師(または将来の専任講師込みで非常勤講師)に雇ってくれる学校はありません)。母校に拾ってもらえるかどうかがアテにできなければ、少しでもネームバリューのある大学に行くのが、確実です。

そのためか、私が学生のころは内部進学で院にあがる学生さんは医学部以外ほぼ居なかったと思います(厳密には医学部のみなさんは学部卒業して国家試験合格していちど実務を経験後に母校に戻って、と間が空くのですが)。できる子はもっと著名な大学に行くし、大学も外部から進学してくる、学位授与して無職で放り出しても心が痛まない学生を求めます。

そういう実態は伝わるものです。

日本の低学歴化が止まらないとなげくより、地方大学をはじめ徹底的に大学院の数をまず絞るべきではないか?と思うのですけどね……。

そもそも、私が平日常勤している事業所でやっている仕事をはじめ、世のなかのほとんどは、下手すると学卒でも知力が余る水準のお仕事です。

Year11から学年末に『National Certificate of Educational Achievement(NCEA)』と呼ばれる全国統一試験を受験し、この成績が在学年の成績評価となる。この試験は全国統一の評価基準により学力評価として認定される。Level1以降、各学年の学期末には「Leve2」「Leve3」の統一試験を受験する。Leve3評価を中等学校での最終評価とし、この評価が国際評価として認定され、高等教育機関への進学、就業目的の評価基準として最終認定され、800を超える公的資格への学力証明として利用できる。

ニュージーランドの教育 - Wikipedia

事業所に来ている方々をみて思うのは、高学歴化をめざすのではなく、日本も義務教育卒業時点や高等学校進級段階での統一試験を課して、早い段階から最低学力を身に着けているかどうか、きちんと尻を叩くほうがよっぽど重要なのではないでしょうか?

 

4日の記録。

朝めしに108円のきつねうどんをいただきます。お昼はいつものとおり紅茶と黒米と雑穀入りごはんです。ポットのお湯でかきこみやすいよう、お茶漬けの素も忘れません。