松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年2月1日の日録。

補足しておきます。

いまの神道を念頭においてしまうとピンとこなくなりますが、なぜ十字軍だの中東の宗教紛争だの戦国時代の僧兵だのといったものがありうるかと言えば、本人が宗教に殉ずれば、殉死者を顕彰し(列聖し)、その家族(遺族)に年金なりが配慮され、子供の進学就職で優遇され、宗教がその後をめんどうみてくれたからです(この思想の一部は日本にも入ってきます。靖国神社、各地の招魂社・護国神社や英霊の顕彰というかたちで制度に取り入れられました。警察官や自衛官の賞恤金制度にも(宗教と国家という違いはありますが)受け継がれています)。

お賽銭の話 - 2024年1月28日の日録。 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

この部分で「国と宗教を同一視?」とLINEやメールをいただいたので、補足しておきます。

賞じゅつ金は、職員のうち、職員の他の一般の職務と比較して、高度な危険が予測され、災害を受ける蓋然性が高い職務に従事する職員が、一身の危険を顧みることなくその職務を遂行し、又はこれらの職務に特有の事故により死亡し又は障害の状態となった場合に、その勇敢な行為を称え、弔慰又は見舞いの意を表するとともに、職員が平素から国のために安じてその職務の遂行に専念し得るようにとの観点から授与されています。

国家公務員の殉職によりその遺族に授与された賞じゅつ金の課税関係|国税庁

国税庁という誰がどうみても国のお役所が、「賞じゅつ金は課税対象ですか?」というQAで堂々と「家族への非課税な金銭補償を準備してやるから職務に専念せよ」という趣旨と回答しています。 

防衛庁においては、災害派遣により派遣される自衛隊員(以下「隊員」という。)、司法警察職員として職務に従事する隊員等が、一身の危険を顧みることなく職務を遂行し、そのため死亡し、又は障害の状態となった場合及び自衛隊が使用する航空機に乗り組んで運航に従事する隊員、空挺隊員等が、その職務に特有の事故により死亡し、又は障害の状態となった場合に、その勇敢な行為をたたえ、弔慰又は見舞いの意を表するとともに、隊員が平素から安んじてその職務の遂行に専念し得るようにする目的から、当該隊員又はその遺族に対し賞じゅつ金を授与する制度を設けているところである。 

衆議院議員照屋寛徳君提出賞恤金制度に関する質問に対する答弁書

2004年の答弁書においてもほぼ同様の記載がありますから、国税庁でいう「国家公務員」は、国会に小泉内閣が送付した答弁書でいう「自衛隊員」をぼかしたものであることがわかります。

この「組織のために殉じた者の遺族に補償する」という枠は、宗教が支配した時代(法王が国王より偉かった時代)から近代国家がしっかり受け継いでいるというお話です。

逆にいえばこういう枠を三大宗教は準備してきた(せざるを得なかった)のに、国家神道(神社本庁教)が考えなくて済んだのは、なぜか。

復権をはたしたのは明治になってから、すでに近代国家化がすすんでいたからにほかなりません。自ら準備しなくて済んだからです。

「じゃあ靖国神社ってあれはなんなんだ?」という質問がありましたが、招魂社(招魂場)は、結果として国家神道(神社本庁教)に取り入れられたのであって、国家神道(神社本庁教)が準備したものではありません。

 1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した。

招魂社 - Wikipedia

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山口県下関市上新地町2丁目 櫻山神社(櫻山招魂場) - 松村かえるの「かえるのねどこ」

古さを強調しているわりに、国家神道(神社本庁教)は神仏習合からはなれて日が浅い新宗教という側面がみてとれます。

そしてもう一点。政教分離といいつつ、源流をたどれば祭政一致なわけですから、完全に過去を排除しうるのか?という点は、さすがに義務教育でももう少し考えさせたほうが良いように思います。

 

1日の記録。

お昼はいつもの倉庫でお茶漬けをいただき、そのあと、コーラをいただきました。

〈冬季限定〉海鮮ちゃんぽん | 長崎ちゃんぽん リンガーハット

メガネ店で修理をすませたメガネを受け取ったあと、帰りみちにあるリンガーハットで海鮮ちゃんぽんをいただきました。