この問題、なにが悩ましいかというと。
さて、ネットでも米山隆一さんや飯田泰之さんら論客が復興のあり方について議論が重ねられていますが、目下問題になるであろう問題は掲題した「25年後には確実になくなっているであろう、珠洲市や輪島市などにある限界集落に復興予算をどこまでつぎ込むのか」です。
えらいこと書くな、とおもって読んでいくと、このかたの肩書は「個人投資家」だそうです。投資家(投機家)の発想なら、これも至極当然のものです。むしろ儲かることを至上とする投資家(投機家)が、政治家や学者みたいなことを書いたら、なにか裏があるのかと勘繰ってしまいます。
ただ、言うはやすく行うはどうか?の典型です。
たとえばダム建設でも水没地域の補償と立ち退き交渉に何年もかけています。問題は、立ち退いてもらうひとの側だけでなく、移住地を手当しないといけない点です。
江戸時代のように領地は殿様のものであり、領民はいわば使用貸借している身(賃料の代わりに年貢がありますが)なら、領民に差し出させ移住先として提供することも可能ですが、うまい具合に近所に移住できる土地が余っているかどうかは、わかりません。
そして、人間の可塑性(柔軟性や適応力)ほどアテにならないものはありません。
大学卒業後、都会で転職を繰り返しスキルアップ・収入アップを目指して頑張っているひとには想像もできないでしょうが、生まれてこのかた田舎を離れたことがなく、代々の百姓で、学校卒業後専業農家で、まともに他人に雇われたことがないひとなんて、ざらにいます。税金については税理士に丸投げなのでなんとかできているが、あとはさっぱり、という感じです。こういう、いまさら都会で転職なんてできるわけがない、リスキリングなんて無縁のかたがたは、原状回復工事をして現地に戻すよりほかに方策がないのです。
都会で年金+生活保護化されるより、ふたたびお百姓さんしてもらったほうが、世の役には立つと思うのですけどね……。投資家(投機家)的には、損得が先に立つのでしょうが。たしかに、問題はおおいのです。ただ、人間はロボットではないので、プログラムを書き換えたら、すぐほかの職業適性が身につくわけではありません。
どうしても合理性だけでは、世のなかは決められないのです。書いていることはわかります。ただ、高齢化率が県内でもトップレベルの地域で、自分より年上のかたに働いてもらっている現場にいると、ひしひしと感じるものが違い、違和感があるのもたしかなのです。
19日の記録。
いつもどおり、袋めんとインスタント味噌汁の朝食をとろうと思ったら、昼弁当に乗せるおかずをつくるついでに、ベーコンとコーンと枝豆をバターソテーしてしまいました。朝食にいただきます。