松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年1月18日の日録。

たぶんこれが経過をよくまとめています。

公益財団法人国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター

こういう組織があります。ここの機関紙が、おそらく話をいちばんよくまとめています。

2023    97    牧田小有玲    小特集    神社本庁の総長人事問題

『ラーク便り』研究ノート等 – 宗教情報リサーチセンター

この事件と前後して、富岡八幡宮殺人事件がありました(wikiよりこちらのまとめのほうがわかりやすいかもしれません)。当時の報道によれば、かたほうは海外でカジノ豪遊、もうかたほうはホストに貢いで遊び狂い、カネを奪い合って最後は殺人。

報道をながめながら、地元のお宮はお賽銭は年間10万程度、戦前築の建物を維持するための修繕積立金をどう分担するかで住民の間でけんかもおきかねない状況なのに、なんと月とすっぽんであることかと嘆息したものです。

この件で神社は意外とページビューが稼げることに気づいたのか、マスゴミで神社本庁教の不祥事も、それなりに報道されました。神社愛好家でなくても、意外と目にする機会は多かったのではないでしょうか。

報道当初は「君側の奸でありこういうのは良くない」と思っていましたが、いまでは「そもそも君側の奸がこれだけ目立つのは、君そのものも奸の要素があるからではないか」と思いはじめています。

その原因は、なんといっても無答責性にあります。

一般の社会においては、会社の社長や政治家がなにかしでかせば、責任をとって辞めさせられます。場合によっては捕まります。そして、後釜の手で正常化を目指します。

神様は、一般の役職と違い取り換えがききません(属人ならぬ属神なのだから当然ですね)。かりになにかしでかしたらえらいことになりますので、責任なんかとらせるわけにはいきません。ではどうするか。

言動に対して責任がないことにしてしまえばよいのです(無答責性)。神様の代理人(王権神授)である天皇や王様が無答責とされるのも、ここからきています。

これ、トップが免責される代わりに側近が責任を負う(神様・天皇・王様に責任はないがその代理人や媒介者が責任をとる)というシステムだったのですが、悪知恵の働くひとが居て、次第に側近のやりたい放題すらすべての意思決定が「神(天皇・王様)の意思」として実行されるようになっていきます。腐ろうと思えばどこまでも腐れるように変質していくわけです。

これが現実となったのが、さきの事件といえます。

正直なところ、神符だお守りだ祈願だと側近が食うための周辺ビジネスさんざっぱらやっておいて、肝心なところは「無答責です」ってどうなんだろうな?という気はします。拝むのも拝まないのもあなた次第、屁のツッパリになるとおもうかそうでないかもあなた次第、だけど我々は拝まれる価値がある存在です、と言っているわけで、次第に衰退するのも道理です。

結果はどうであれ皆で祈ることはできるはずですが、国家神道(現在の神社本庁教。事実上の天皇一神教)化以降、失敗は神の権威だけでなく皇室の権威にもかかわるため、いよいよ無答責性に磨きがかかるようになっていきました。

国家神道(現在の神社本庁教)の手順にしても、それは人間側が神にたいして定めたプロトコルであって、必ずしも神が定めて人間におろしてきたプロトコルではありません。もしそうなら世界各地に複数の宗教が併存するわけがありません。内宮と外宮が世界の中心だとお考えのかたは発狂するでしょうが、各民族がそれぞれの祖先を太陽なりこの世の唯一のものに擬制し信仰の対象としているから、複数プロトコルが並立しているわけです。だからガザ侵攻でも十字軍でも、お互いがお互いの神を背負って殺し合いができます。

神社本庁 | 公式サイト

神は我とともにあり」を聖書の話じゃないか神道とは違うと笑うひとは、いまの神社本庁教が「神宮を本宗と仰ぎ」と、堂々と神に序列を持ち込んで事実上の一神教化していることをよくよく考えてみるとよろしいかと思います*1

意外と愛好家を自認するするひとたちも、個々のプロトコル(祝詞やお供えの中身など)や鳥居の形式、社殿の形式には注意をはらいますが、目のまえのお宮は明治以前の姿ではない、御祭神も取り替えられすり替えられてきた可能性があることには目を向けません*2

おそらく行きつくところまで行きつき、腐り落ちてから再生ということになるでしょう。カネがあと何年つづくか、生きているあいだに再生の萌芽くらいは目撃できるかどうか、といった感じではあります。

期待せずに待ち、そのあいだは辛抱して、神社本庁教なぞあてにせず、それぞれなりに祈るしかありません。

 

お詫び。

私はあとからやってきた人間なので、むかし地方公務員をしていたころから、いま平日常勤している事業所の名前と場所は知っていても、中身はよくわかっていませんでした。

軽規格の社用車が1台をのぞいてD社製だったり、従業員さんの家族にかなりの数、D社の工場従業員のかたがおられるとは思っていましたが、操業停止にあたり、いろいろあります。家族の稼ぎが減るぶんをほかの家族が取り戻そうとするため、落ち着きません。

風は最初そこまで吹いてなかったのですが、型式指定取り消しが大々的に報道されてから、どうも長期戦を覚悟したらしく、いろいろ浮ついています。子が減給では、親も落ち着かないでしょう。孫の学費や子の住宅ローンを支援するという話もチラホラやってますし……。

私が立地がもつ意味をなめていたわけですが、こうなるんですね。

日記はまいにち更新しますが(予定)、この一週間同様、皆様に★をつけて歩けないかもしれません。<(_ _)>

 

18日の記録。

今日はお昼に配達弁当をいただきました。食わないとやってられません。

事業所のかたからキャベツをもらったので、とんちゃん鍋をつくりました。

牛の胃袋(センマイ)、レバー、心臓(ハツ)を買ってきて、先日のタレで和えて、キャベツを1玉とホウレンソウを切って乗せて、水を加えず火にかけます。野菜から出た水分とタレだけで、煮ていきます。

中火で10分ほど煮るとこんな感じです。いちどここでかきまぜて味見をして、塩気が足らなければ塩コショウで味をととのえます。

ちなみにほんとうは、シロモツをつかいます。そして野菜は、キャベツ+もやし+ねぎです。

ただ、実際のところ野菜は手にはいったものをあれこれぶち込んでいましたし、好みがあるので私のような酒のアテが欲しいかたは、コリコリ食感のセンマイや、意外と美味いレバー、さくっとした心臓(ハツ)が中心になります。

個人的にはもつ鍋より断然とんちゃん鍋なのですが、必ずしも若いかたはそうではないようです。

*1:このホームページ、どうかと思うのは「神宮」は伊勢にしかないのになぜか「伊勢の神宮」とあるし、昭和21年設立とへたな新宗教より日が浅いと白状している点です。逆にいえば「伊勢の」とつけるくらい「どこもかしこも神宮」な現状がおかしいともおもわず、「****年の歴史を受け継ぎ」ともトップに書かない、書けないわけで、こういうところがデファクトスタンダード決めるのってどうなんでしょうか?

*2:テレビや雑誌によく登場するスピリチュアルなおっさんや占い師を名乗る詐欺師が、過去に祭神論争があった神社でいまの御祭神を念頭にしたり顔で語るのを私がうさんくさく感じるのは、そのためです。知ったかするまえにwikiくらい読め