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小笠原藩下に多い、階段状の土地に石垣と急な石段を築き、神社を大きさより威厳があるように見せるスタイルです。
横からみるとどこかの城か館のようです。
福岡県神社誌と門司市史では「貴布禰社」とありますが、現地鳥居の扁額は「貴布禰神社」です。
ここも横長の拝殿に渡り、本殿という小笠原藩様式とでもいうべき社殿が建っています。
貴布祢神社の祭神由緒
祭神
高淤加美神 水の神
闇淤加美神 木の神
弥都波能女神 水の神 子宝安産の神由緒
創立不詳といえども古老の傅に大古は該村渾て此の社地の左右にあり故に古屋敷と云ふ字あり 正保年中(約三七五年前)の頃より向地に家築 よって村中鎮守として尊崇す 明治元年八月再興す貴布祢神社社記による
喜多久町
現地案内板がもっとも詳しいのでこれを文字起こししてみました。
- この貴布禰神社がある周辺がもともとの喜多久地区の中心
- 正保、つまり江戸初期に海側に向かって集落が進出したが、変わらず村の鎮守とされた
- 明治元年8月再興
問題はこの「再興」で、神仏分離をして神社専業に衣替えしたのがこのときなのか、現社地を整備したのが明治元年なのかが不明です。
福岡県神社誌:下巻450頁
[社名(御祭神)]貴布禰社(高淤加美神、闇淤加美神、彌都波能売神)
[社格]無格社
[住所]門司市大字喜多久字古屋敷
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.01.11訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。