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私は鳥居のある石段からなんとか登りましたが、どうやらゼンリンや地理院地図に掲載のない境内につうじる道が複数あるようです。境内をながめていると、どこからともなく犬の散歩から帰ったかたが、境内を歩いておられました。
最初は現地案内板をOCRで文字起こししようかともかんがえたのですが、ほぼ貴船信仰と本社格の京都の神社についての記載であるため、要点のみをまとめます。
- 貴布禰神社の創建は江戸時代初期
- 元は細江畔の地主神であったが、現在は神社が所在する丸山町の鎮守である。
- 幣殿・拝殿は大正15年築
- 金刀比羅神社は、旧漁港の水産船舶関係者により大正11年に勧請。
- 稲荷神社は、大正11年に境内に遷座。
- 宮地嶽神社は、湍津姫、田心姫、市杵嶋姫を祀る。大正11年に勧請。
大正時代の地図と見比べるとわかりますが、むかしこの地は海を見下ろせる高台であったことがわかります。現在では公共施設などで視界が遮られて実感がありませんが、当時はかなり海を見渡せたはずです。
お稲荷さんです。参道脇に石祠が2つ並んでいるのは、もともとお稲荷さんにあった境内社でしょうか。
社殿正面向かって左側は、宮地嶽神社です。神功皇后・勝村大神・勝頼大神ではなく、案内板のとおりなら宗像三女神を祀るのに宮地嶽神社です。いくらなんでも宗像と宮地嶽がごっちゃということはないはずなのですが……やはり理由があるのでしょうか。
気になるのは社殿内に、ほかのお宮や厨子があることです。まさか隣県の有名神社の御祭神を取り違えるとはかんがえがたく、複数のお宮が合祀された結果があの案内板ではないか?とかんがえたくなります。
金刀比羅神社は、宮地嶽神社の手前に鎮座していました。
お稲荷さんの裏手から本殿のようすがうかがえないかとまわりこんでみましたが、雑木にツタがからまって、まったく見えません。
(2023.01.05訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。