松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県佐賀市中の館町 中の館神社


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googleマップでは「徳阿弥神社」と記載があります。

現地を訪問すると、鳥居の扁額には「徳阿弥稲荷大明神・福阿弥稲荷大明神」とあります。また、同じ中の館自治会館の敷地内に「天満宮」もあります。

佐賀市のホームページでは「中の館神社」とされているので、おそらくこれが3社の総称なのでしょう。この「神社めぐり」でも、そのように記載させていただくことにしました。

中の館神社 - さがの歴史・文化お宝帳

祭神 正一位 福阿弥稲大明神
神社 正一位 徳阿弥稲大明神
多久氏の祖、龍造寺和泉守長信公、多久家鎮守として祀られたもの
天満宮 祭神の東側に龍造寺天満宮が祀られている(明治34年改築)。東館内に勧請せられたもので、東館を天満屋敷ともいう(龍造寺剛忠公の長男家純公、水ヶ江城鎮守として)
今日、倒壊の危険もあったため、平成17年12月町区民の浄財により神社南側に新しく築かれる。
多久家、神社と社地西に祭祀田として1反6歩の水田を添えて無償にて市に譲渡され、毎年の祭典は市の主催により、町民も参加して催されてきたが神社法の改正により、市が祭祀を行うことを禁じたため、廃社となるべきところを与賀神社の摂社として登録され、厄を免れる。その後は、地区有志の手により、細々とした祭(2月・8月)が行われている。

肥前 水ヶ江城-城郭放浪記

築城年代は定かではないが文明年間(1469年~1487年)に龍造寺康家によって築かれたと云われる。
村中城主龍造寺康家が文明年間(1469年~1487年)に村中城を嫡男胤家に譲り隠棲して新館に移ったのが水ヶ江城の始まりである。
康家が没すると龍造寺家兼が継いで西館・中館・東館などと呼ばれる周囲に堀を巡らせた五館の曲輪群を構え、水ヶ江城と呼ばれた。 この家兼の曾孫にあたるのが龍造寺隆信で、分家である水ヶ江龍造寺氏から出て本家である村中龍造寺氏も継承し戦国大名として勢力を伸ばした。

まず、龍造寺康家公が家督をゆずったあとの隠居地がのちの水ケ江城で、五男家兼公(上記佐賀市のホームページでは「剛忠」公)が水ケ江龍造寺家を継ぎ、家兼公の嫡男 家純公が鎮守として勧請したのが、この天満宮ということになります。

そして、2社のお稲荷さんは、隆信公が村中本家を継いださい、水ケ江龍造寺家を継いだ(隆信公の弟である)長信公が、鎮守として勧請した神社ということです。

bunka.nii.ac.jp

いまの地図とみくらべても城は原形をとどめていないのに、そこで行われていた祭祀だけは、かたちを変えて残り続けているというのが、おもしろいところです。

(2022.12.09訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年12月9日の日録 - 美風庵だより