松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2022年12月9日の日録

今日の運動経路

8日に引きつづき、今日も佐賀市内で日銭稼ぎでした。

今日はまず久留米に出て別件を済ませ、路線バスで佐賀市内に向かいました。

片田江」バス停で下車します。

4月に訪問した佐嘉神社を横目にみながら、佐嘉神社の駐車場を横切ります。

1社目は竹ノ森稲荷神社です。

社殿の神前幕に剣花菱紋と鍋島杏葉があり、奉納者が「鍋島家」とある以上、どこからどうみても鍋島の殿様(の一族)がいまも祭祀をされている神社だとかんがえざるをえません。もともと鍋島直茂公は剣花菱紋をもちいていましたが、大友氏に勝利し鍋島杏葉をもちいるようになります。

我々庶民の敵NHKの佐賀放送局前を数年ぶりにとおりますが、ひと気がありません。今年5月に新しい建物に移転して、ここは閉鎖されているそうです。知りませんでした。儲かってますね……それにしても。

2社目は、龍造寺八幡宮下宮です。もともとこの辺りは龍造寺家の支配地であり、1985年にあらためて本宮を分霊して下宮を創建したとあります。

googleマップでは徳阿弥神社とあり、誰を祀っているのか皆目見当もつかないまま、googleマップをたよりに歩いていくと、ただっぴろい場所にでました。児童公園とありますが、それにしては……。

でかい石碑があります。ここが龍造寺隆信公の生誕を記念した石碑のようです。

龍造寺隆信誕生地 - さがの歴史・文化お宝帳

天文15年(1546)3月、曾祖父龍造寺家兼(剛忠)が93歳で死去した。家兼の遺志により、中納言は還俗して胤信(たねのぶ)と称し、水ヶ江龍造寺家を継ぎ、翌々年の天文17年に村中龍造寺家も継いで、龍造寺宗家の当主となり、山城守隆信と称した。
肥前・壱岐・対馬・筑後を平定し、肥後北部の諸将を従属させ、西筑前の九郡と豊前の北半を領有し、天正8年(1580)ごろ、五州二島の太守と称され、竜造寺氏の全盛時代を築いた。
誕生碑のかたわらに胎盤を納めた胞衣塚(えなづか)がある。形状は高さ1.10メートルで、1.90メートル四角である。

公園の隅に、胞衣塚があります。偉いひとになると、胎盤を埋めたところもこうやって記念碑が建つんですね……。私なんてへその緒すらどこにいったかわからないのですが。違いますね……。

googleマップでは徳阿弥神社となっていますが、現地鳥居の扁額は「徳阿弥稲荷大明神・福阿弥稲荷大明神」とあります。佐賀市文化財課が運営するホームページでは「中の館神社」となっており、これが境内の天満宮含めた総称のようです。

ここにはむかし龍造寺家の水ケ江城がありました。

水ケ江の分家に生まれた龍造寺隆信公が、村中の龍造寺本家を継いださい、弟である長信公が水ケ江の分家の当主となります。その彼を祖とする多久氏の鎮守であったものが、のちに地元の管理するお宮となったものです。

龍造寺家の城だった水ケ江城は、いまの佐賀城の南側にありました。なお、佐賀城は村中龍造寺本家の城を改修したものです。

いまは住宅地のほか、一部が佐賀市立赤松小学校となっています。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

本家と分家とはいえ、似たようなところに城が2つあったことになります。

佐賀城の南濠をながめながら、与賀神社に向かいます。これだけ黄色ければそうとうレンコンも太っていることでしょう。十数年ほど前、ミシシッピアカミミガメがハスの茎を食い荒らしレンコンが育たたなくなったことがありましたが、駆除作戦もすすみ、ここまで回復しました。てっきりこれむかしからあるのかとおもっていたら、昭和初期に食料としてレンコンを植えたのがはじまりとのこと。意外とあたらしいのですね……。

西濠と、その向こうのクスノキをながめながら歩いているうちに、ホテルニューオータニの前にでてしまいました。

神社にむかう道をやり過ごしてしまったことに気づきます。

本日の最後、与賀神社にたどり着きました。

与賀神社の御神橋があるお濠を、鯉が泳いでいました。ほかにも小さい魚がずいぶんと泳いでいます。

昨日訪問した佐賀県護国神社が見えてきました。ここから右折し、打ち合わせ場所にむかいました。

今日は6.5km、約100分かかりました。

さいしょgoogleマップが示した所要時間は1時間ほどで、余った時間で昨日見つけたお店で豪勢に昼を食おうとかんがえていましたが、とんでもありません。またgoogleマップにだまされました。

佐賀市内でご飯にありつく時間がとれず、久留米に戻ってきてから、今日も大龍ラーメンで遅い昼食をいただきました。昨日は朝布団をでられずギリギリまで寝て朝飯ぬきだったため大盛にしましたが、今日は普通サイズです。

昨日と店員さんがちがい、今日はチャーシューの量も申し分ありません。ひとによって変わるのかな?

 

「封印の昭和史」

封印の昭和史 戦後日本に仕組まれた「歴史の罠」の終焉

すでに電子版もっているのですが、電車やバスのなかは直射日光の関係で読みにくいため、紙の本をひさしぶりに引っ張り出しました。