松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市小倉南区葛原4丁目 葛原八幡神社


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社号は「葛原八幡神社」と、八幡さまを名乗っていますが、ホームページのURLが

https://www.kiyomaro.or.jp/ということからもわかるとおり、勤皇の大忠臣 和気清麻呂公がメインの神社です。

和気清麻呂公銅像

足立山山頂を仰ぎ見、八幡神のお使いである霊猪像を配した当神社祭神和気清麻呂公の銅像をこの度、参道奥、御社殿東側に建立いたしました。
和気清麻呂公は奈良時代から平安時代の転換期に活躍した人物で女帝・称徳天皇の深い寵愛を受けた僧・道鏡が皇位を望んだ時、宇佐八幡に勅使として遣わされ「我が国は初めより君臣の分定まれり、道鏡を除くべし」という内容の神勅を言上。そのため、道鏡の怒りをかい、足の筋を断たれ大隅の国に流されることとなる。その途中、霊猪に導かれ宇佐八幡の神助により当地にしばし逗留。山裾に沸きいでる霊泉で傷を受けた御足を癒した。(そのためこの山を足立山と呼称するようになった。)

建立した銅像はこの故事を現したもので、昭和十五年郷土の彫刻家・亀谷義雄氏が作成し葛原小学校に寄贈されていた石膏像(現在は神社所蔵)をもとにこの度、彫刻家・村上章一氏に依頼し新しく銅像として制作いたしました。高さは台座を含め4m。銅像の周りには清らかな風を感じながら散策を楽しんでいただけるよう和気(なごみ)の小道もございます。

平成十八年十月

通常なら一の鳥居の横に神社の由緒が書かれた案内板があったりするのですが、ここは清麻呂公推しなので、(神社ではなく)境内にある銅像の案内板があります。

二の鳥居からさきも長く、あとで聞いたところでは200mあり、俗に「リハビリ参道」と呼ばれているとのことでした。三の鳥居の石段がリハビリの邪魔にならないよう、坂道が横に整備されている徹底ぶりです。

歩きながら清麻呂公の足跡を絵と文章で知ることができます。

絵看板の最後は、清麻呂公の神号宣下にまつわる社宝の案内です。

猪に守られ賽銭箱のさきに、清麻呂公の銅像があります。

さすが清麻呂公推しだけあって、妙見古道の通称もキヨマロードです。

妙見古道(キヨマロード 清麻呂の道)から足立山 / 小文字のコマさんの足立山・戸ノ上山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

神社の裏手から、清麻呂公が皇室の安泰を北辰妙見菩薩に祈願した足立山に登ることができます。

北九州市小倉北区妙見町 足立山妙見宮 - 美風庵だより

以前から何度も訪問している足立山妙見宮が西側から足立山に入山する入口で、この葛原八幡神社は、南から入山する入口にあたります。

社殿は、小笠原藩造営の神社でよくみる横広の拝殿に渡りと本殿がつながったもので、拝殿内を拝謁することはできませんでしたが、格天井に薬草の奉納絵があるそうで、その画像が、拝殿入口に飾られていました。

福岡県神社誌では、境内社は六社神社のみ記載があります。現地案内板によれば、まず3つの神社が統合され6柱の神さまを祀る六社神社となり、さらに地域内の3社を合併したと読めます。

ほかの神社に合祀されず、お稲荷さんだけは別扱いです。六社神社成立後に、地域内から移転してきたのかもしれません。

艫綱石とは、船を係留するときに綱をまきつけた石のことで、もとは竹馬川の河畔にあったとのこと。

竹馬川は安部山公園駅の辺りまで比較的太いので、可能なかぎり舟を利用したのでしょう。

境内には天満宮があります。

天満宮由緒

御祭神 菅原道真(学問・文学の神)

当天満宮は、右大臣菅原道真公が延喜元年(九〇一)太宰権師として京都より西下の際、築上郡椎田浜(綱敷天満宮)に上陸、さらに太宰府に向かう途中、立ち寄られた跡地に鎮座されたと伝えられます。当初は葛原新町(現、葛原本町一丁目付近)に鎮座されていましたが、明治四五年に現在の地に遷座され、以来葛原新町の里人を中心に学問の神、産土の神として篤い信仰を受け続けています。(平成九年、多額の浄財により見事に改築がなされました。)

北九州市指定無形民俗文化財「葛原新町楽」
享保年間、この地に悪疫が流行し、特に牛馬が多く死にました。その為、里人は牛の守り神の天神様に祈願したところ忽ち悪疫が治り、そのお礼として願解きに楽打ちを奉納したのが葛原新町楽の始まりだと伝えられています。その後、毎年小笠原藩のお達しで葛原村は「子供角力」、葛原新町は「楽」を八幡神社に奉納するようになりました。
それ以来、葛原新町の人々により代々受け継がれてまいりましたが、先の大戦中は中止となり昭和二四年に復活、昭和三十年から再び中断し、昭和五一年には「葛原新町楽保存会」を組織し再度復活され、昭和五九年二月一日に、北九州市の無形文化財に指定されて、現在は小、中、高校男児により八幡神社の例大祭当日、奉納されています。

葛原新町楽 
Kuzuharashinmachi-gaku

地方に分布する太鼓踊(この地方では楽または楽打と呼んでいる)の一つ。成立の時期は定かでないが、江戸時代の昔牛馬に悪疫が流行したおり、これを鎮めるため葛原新町村(現原本町一丁目)にあった天神社(明治末期葛原八幡神社境内に遷座)に平癒祈願の楽を奉納したのが始まりと伝えられている。
楽の構成は沼楽や石田楽と同じ半楽形式で、言上一、うちわ二(杖を兼ねる)。笛三~五、鉦三~五、太鼓十二(うち頭楽二)である。楽打は言上の申立てに始まり杖使いの演技が終って十一種類の踊りを踊る。扮装や芸能は小倉南区の沼本町でおこなわれる沼楽に類似している。
明治時代以降も踊りは続けられていたが、昭和三十年に一時中絶同五十一年に復活してから現在に至っている。毎年葛原八幡神社の秋季大祭の日に天神社と葛原八幡神社で奉納演舞される。

悪疫と菅公という組み合わせがどうも理解できなかったのですが、牛つながりで菅公を祀る思想があったことがわかります。なるほど。牛なんですね。

 


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葛原八幡神社から歩いて12,3分ほどのところに「御旅所」があります。

和気清麻呂像の説明

和気清麻呂(733~799)は奈良時代に僧侶弓削道鏡が皇位を狙ったとき、勅使として宇佐八幡の神託を確かめ、道鏡の野望を阻止した廷臣である。
道鏡の激怒により、足の筋を切られて大隅(鹿児島県)に配流の途中、湯川水神社にある霊泉で足を治療し、この付近に住んだといわれている(葛原八幡神社の起こり)。正面の山は、足の傷が治り足が立ったことから、足立山と名付けられたと伝えられている。清麻呂公は道鏡の失脚後召喚され、光仁・桓武天皇に仕えて、平安遷都に尽力した。
像はこうしたいわれから、大正十一年(1922)当時安部山公園を開いた安部熊之輔氏が建立したが、平成三年十月の地震により頭部が落下し、残りの胴体部も風化が進み危険なため、撤去し台座の横に埋蔵した。
現在の立像は、公園のシンボルである像の再建を望む声により北九州市が平成五年一月に再建したものである。

清麻呂公の石像の足下、御旅所の案内板裏手に、葛原八幡宮旧跡の石碑があります。

福岡県神社誌や現地案内板の記述からすると、現在、安部山公園として整備されているこの地が、清麻呂公が隠棲した蜂ケ坂であり、清麻呂公が宇佐八幡を勧請して祀った旧跡であると推測できます。

ただ、なぜ現地に移転することになったのかは、これだけみてもよくわかりません。

どこかに資料があったりするのでしょうか。

福岡県神社誌:下巻157頁
[社名(御祭神)]葛原八幡神社(息長帯比売命、品陀和気命、吾背於美翁命)
[社格]郷社
[住所]企救郡曽根町大字葛原字足立
[由緒]創立年紀不詳、人皇四十八代称徳天皇の御宇和気清麿郷宇佐に勅使の後、弓削道鏡の讒言に因り、足の筋を断たれ大隈国に流さる、神明の加護に依りて不図も御舟豊前国宇佐郡長洲楉田村に至る。此の処清麿着船の地也止云伝、今楉田村を和気村と云止。時白鹿忽に来りて地に蹲る、相馴れし事養ひ蓄る者の如し、清麿大に喜ひ此鹿に乗れば猪二百ばかり来りて道の左右に歩み通り清麿を助けて宇佐まで行く。清麿喜び神前に詣でて切に己が罪無きことを告許ふ。此時八幡宮の神託あり、是より西規矩郡北名山の麓に温泉湧出し、爾此に浴せば痛む所立処に癒なむと清麿感激肝に銘し、神託に従ひて急ぎ規矩の温泉に浴しぬ数日にして足故の如くになりぬ、此の山を足立山と云ふは此の故ならむ此の所をも足立と云今八幡宮の辺なり。温泉亦忽枯れぬ、名けて其の処を湯乾と云ふ。今湯川と云は是の訛ならむ、其跡小池有り其脇に清水あり、清麿甚しく称美し、一生水と名附け、其の水流尽ぬ如く水の精霊を祭置けり、即ち今の水神社是也。清麿蜂ケ坂に竹の庵を結び星霜を送れり。其後藤原百川清麿の忠節を憫れみ備後の私領二十戸を分ち清麿の配所に贈り興ふ、清麿大に喜ひ即宇佐八幡宮を蜂ケ坂の森の中に斉祭朝夕に神明の冥助を謝せらる。宝亀元年八月四日称徳天皇崩御の後皇太子の勅に因り清麿赦免せられ神護景雲四年帰京す。延暦十八年二月二十一日薨ぜられしと聞きて里人清麿の神霊をも蜂ケ坂に斉奉りけるが弘仁八年に清麿の嗣子参議真綱字佐宮に勅使の帰路、清麿の旧地に留り父の神霊を拝せしに神託ありて蜂ケ坂に勧請ありし八幡大神の御祠を今の葛原の地に遷し奉り、父の神殿を相殿に祭る。爾来里人崇敬して葛原村湯川村の産土神となし葛原八幡宮と称す。相殿清麿の霊には嘉永六丑年八月神祇官宗源神宣告文納められ、和気護王大明神と称し奉る。
明治六年七月九日郷社に列せらる。
[境内社(御祭神)]六柱神社(大名牟遅神、大山津見神、建御雷之男神、少毘古名神、多岐津比売神 宇迦御魂神、弥津波能売神、多紀理比売神、高淤加美神、奧津比古神、 市才島比売神、保食神、菅原神、奥津比売神、闇淤加美神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]水神社(水波能売神)、建速社(須佐之男神、顕仁天皇)
(2022.12.05訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年12月5日の日録 - 美風庵だより