美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

北九州市小倉北区妙見町 足立山妙見宮


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すでに何度も訪問して、この日記にも再三登場している足立山妙見宮を取り上げることにしました。

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境内の案内板を読んでいて、気づいたからです。

まず突然ですが、歴代天皇の名前を列記してみることにします。

神武天皇 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)
綏靖天皇 神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)
安寧天皇 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
懿徳天皇 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
孝昭天皇 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
孝安天皇 日本足彦国押人天皇やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
孝霊天皇 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
孝元天皇 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
開化天皇 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)
垂仁天皇 活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)
景行天皇 大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
成務天皇 稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)
仲哀天皇 足仲彦天皇たらしなかつひこのすめらみこと)
応神天皇 誉田別天皇(ほんだわけのすめらみこと)
仁徳天皇 大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)
履中天皇 去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)
反正天皇 瑞歯別天皇(みずはわけのすめらみこと)
允恭天皇 雄朝津間稚子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねのすめらみこと)

日本書紀で初代から19代目とされている皆さんの名前を列記してみて、似たような名前がいくつか続いて、また違う名前が続くと気づかれたことと思います。赤貧は、本当の天皇は、神武天皇以下「やまと」が名前に混じっている人々だけであったと考えています。「わけ」「たらし」「いりびこ」は、後世に天皇を僭称した、もしくは王朝交代後の面々です。現代人でも、親とまったく違う名前をつける者もいますから、脈絡がないわけではないと思いますが、少なくとも「やまと」を名乗れるのは、それだけの絶大な権力者であった証です。

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玉垂命=筑紫君=開化天皇(わかやまとねこひこ)で「やまと」の名乗りは途絶えます。「稚(わか)」には「幼い」という意味もありますが、「最後・晩生」の意味もあります。玉垂命は神武天皇の血を受け継ぐ最後のやまとでもあるわけです。

現地案内板をみると、妙見神として造化三神を祀り、さらに宮司をつとめる磐梨家の祖と、和気清麻呂公を祀るとあります。和気清麻呂公の4男が磐梨家の祖で、和気清麻呂公は垂仁天皇を祖にもつ家系であるとあるのです。

垂仁天皇崇神天皇は「いりびこ」をともに名に持ちます。日本書紀では親子とされていますし、もし親子でなかったとしても、濃い血筋の関係であることは、疑いありません。
和気清麻呂公が道鏡皇位簒奪に徹底抗戦したのも、たんに忠臣という立場からではなく、祖先・血筋に対する忠誠の意味合いもあったのでしょう。

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ここで一点、疑問が生じます。社殿には皇族をしめす裏菊紋だけでなく、五七桐紋があるのです。
桐紋は玉垂宮神秘書では、初代住吉大明神である鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の紋章であるとされています。鵜葺草葺不合命から神器とともに玉垂命が引き継いだ、ほんらいの皇室の紋章の一つです。

崇神天皇系(いりびこ系)なのに五七桐紋……。
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垂仁天皇 - Wikipedia
皇后(後):日葉酢媛命(丹波道主王の女)

(略)
妃:渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ。日葉酢媛の妹)
子:鐸石別命(ぬてしわけのみこと)。和気氏の祖
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丹波道主命 - Wikipedia

日本書紀垂仁天皇条によれば、丹波道主命は第9代開化天皇皇孫である[1]。父は開化天皇皇子の彦坐王(ひこいますのみこ)とするが、開化天皇の別皇子である彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)を父とする別伝も掲げている[1]。
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これを理解する鍵は、どうやら垂仁天皇の妃側にありそうです。
皇后は、開化天皇こと玉垂命の縁者とされています。

つまり、裏菊紋で父系を表し、桐紋で母系を表現しているとみるべきなのです。

そう思い至ったとき、玉垂命(筑紫君=開化天皇)から崇神天皇系への皇位移行は、思ったよりも複雑なのがみえてきます。

まず、神武天皇の血をひく「やまと系」から、崇神天皇系の「いりびこ系」に移行し、さらに、崇神天皇神功皇后の子「わけ系」へ、皇統は入れ替わってきたことになるのです。

この妙見宮は、まさに和気清麻呂公を祀る「祖廟」であることがわかります。

妙見のお宮といっても、これまでみてきた大祖神社や北斗宮とは相貌を異にするものなのです。

しかし、道鏡宇佐神宮による政治介入に対して、和気清麻呂公がなぜ妙見様に皇室護持を祈願したのでしょうか。
現在、妙見宮では、妙見様に造化三神を充てています。これが鍵となるのでしょう。
神皇産霊神とは大幡主のことで、大幡主-豊玉彦-玉依姫-崇神天皇となり、曾祖父にあたります。
天之御中主は大幡主の姉ですから、和気清麻呂公の頭の中では、妙見様もまた、自らの祖先であるという認識を抱いていたに違いないのです。

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社殿から2、3分ほど歩いたところに、和気清麻呂公の石像があります。この周囲もなかなかよい雰囲気のあるところです。

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[福岡県神社誌(抄)]下巻124頁
[社名(御祭神)]御祖神社(天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神、鐸石別命、和気清麻呂、(合祀)伊弉諾神伊弉冉大山祇神、磐長姫神綿津見神、高淤加美神闇淤加美神罔象女神素戔嗚尊猿田彦神大年神、大國主神、少彦名神事代主命神武天皇大彦命吉備津彦命建沼河別命丹波道主命日本武尊
[社格]県社
[住所]小倉市大字足原字ヘラ
[境内社]記載なし。
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(2020.02.11訪問)