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豊前小笠原藩造営の神社には、山の傾斜を利用して、拝殿を見上げさせ、サイズ以上にでかくみせるスタイルのものが少なからずあります。旧小笠原藩領のエリア以外(黒田藩・有馬藩)でこの様式をみかけることは少なく、或る意味、トレードマークとも言えます。
この天疫神社も、鳥居をくぐって横から拝殿に進入することになります。
横広の拝殿が視界ぎりぎりまで広がり、サイズ以上に大きく感じられます。
境内は山の斜面を活かした城のようなつくりで、もとは社務所などほかの建物もいろいろあったのかもしれません。
一段下の土俵をながめつつ、石段で境内に上がらせてもらうと、正面からの威圧感のわりに奥行きはないのがよくわかります。
近づいてみて驚いたのは、拝殿内がいわゆる舞殿(神楽殿)のつくりになっていることです。
社殿正面の石段から拝殿を見上げるとこんな感じで、神楽奉納のときどう使われていたのか気になります。おそらく、偉いひとは舞台の隅で、下々はこうやって見上げていたのでしょうか。
福岡県神社誌:下巻453頁
[社名(御祭神)]天疫神社(須佐之男命、天之忍穂耳命、多紀理比売命外十柱)
[社格]無格社
[住所]企救郡松ヶ枝村大字伊川字宮山
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.11.01訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。