松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

11月1日の日録

今日の運動経路(門司区編)

朝晩涼しくなってきました。

今日は、北九州市門司区にある神社のうち、事前にリストアップしていたぶんの最後を、訪問することにしました。

平原」バス停で下車します。

以前はJR西小倉駅前から柄杓田(ひしゃくだ)行の路線バスがあり、時間がかかっても黙って乗っていればここまで運んでもらえたのですが、最近の見直しで、ひとつJR門司駅側の「淡島神社前」までで打ち切りとなり、ここはJR門司駅で乗り換え必須となりました。運行経路見直しにともない、なんとバスも中型から日野・ポンチョに変更です。しかもポンチョのなかでもショートの座席10+立席18型ですから、年配のかたが来たら座席をゆずらないといけないため、意外と気を使います。

最初の天疫神社は、小笠原藩造営物件によくある、山を削ったギリギリの斜面に見上げるように横広の拝殿を建て、神社をでっかく見せるタイプのものです。

このタイプは、非常に写真が撮りづらく、困ります。

ただ、日ごろみなれた様式とちがい、天井が梁で3つに分かれて格天井を組んでおらず、しかも土間のうえに1段高い拝殿をこしらえています。これは珍しい。

つぎの「貴船神社・釈迦堂」に向けて歩いている途中、都市高速道路付近の道沿いで、高い位置で切り倒し、ひこばえで樹を若返らせる萌芽更新をやっていました。

チェーンソーなどで低い位置からばっさり切ると、このひこばえが出る前に死んでしまいます。わざと高い位置で幹を切り倒すと、ひこばえが出て数十年後にまた木材が収穫できるのですが、そのぶん収量が減るので、いまはどこも根っこ間際で切るのが主流です。

伐採したら新たに苗木を植えりゃいいというわけです。

石段の先にみえるのが釈迦堂で、その横の集会所と一体となった白い建物が貴船神社です。なかなか神社っぽくみえません。

となりが「白山神社」の入り口です。扁額は「白山大神社」ですが、ここに来る途中にあった幟旗の柱は「白山神社」です。

ところどころ竹や雑木を切り倒した跡があるので誰も寄り付いていないわけではなさそうですが、竹や雑木の葉が積もり、足元がすべって前に進めません。体感的には30度以上傾斜があり、しかも枯葉がフカフカで足がめり込みます。

白山神社に到着しました。

ここで汗がひくまで休憩していたら、なんと汽笛が聞こえます。

門司港駅や門司駅側からも、フェリー乗り場などがある新門司側からみても内陸で、こんなところまで汽笛が届くということに、まず驚きます。

しかもこの神社、iPhoneで方向を確認すると、「白野江(しらのえ)」「大積」「喜多久」「柄杓田」といった海沿いの集落側を向いています。海で暮らしていたひとたちが、内陸にも進出してきた証拠なのでしょうか?

最後に「平山観音寺」のなかにある「お角大明神」を訪問します。 

平山観音院 (kaido-nagasaki.com)

この寺の由来は二通りあります。壇の浦に敗れた平家残党が観音ヶ迫(現、釈迦堂一帯)に隠れ住み、一族を弔うために回向堂を造り観音寺となったという説と、もう一説は天明の夏、小倉藩の姫君が継母にいじめられ小滝の傍に捨てられ蚊の大群に刺されて亡くなりました。そのため乳母が庵を結び冥福を祈ったという説です。

 この「お角大明神」の石祠から先に池があり、その池を源流として、滝やお寺の前にあるため池に水が流れ込んでいるとのこと。亡くなった平家の人々を弔うために建てたお宮なのか、この地に棄てられ失意のうちに亡くなった姫君のお宮なのかはわかりませんが、まず、手をあわせます。

ここは、1時間に1本しか路線バスが来ないところで、白山神社でおもいのほか時間をとってしまい、予定のバスを逃してしまいました。

待っていたら昼飯を食いそびれてしまいます。

1分ほど思案して、地理院地図とゼンリンに道の記載はあるが、googleマップには掲載がない道をとおって、裏側の黒川地区に抜けてみることにしました(黒川は、1時間に4~5本バスがあります)。

立て看板があり、車は通行不可・Uターン不可とあります。歩行者なので、問題はないでしょう。足を踏み入れます。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) (ktgis.net)

大正時代の地図に載っている、ある意味由緒正しい道です。途中で遭難したりはしないはずです。

落ち葉が積もりすぎて画像ではわかりにくいとおもいますが、全面舗装されています。切通し部分も両側から石や泥がだいぶ落ちてきているものの、靴でよけると、ちゃんと下に舗装跡がみえてきます。

山を越えた反対側も、決して歩けないわけではありません。

おそらくむかし、まだ人馬による輸送が中心の時代は、門司港や白野江といった各方面に出るための道路として機能していたのでしょうが、車幅を確保することができず、廃れたのでしょう。

途中民家もないし、登山者が利用するわけでもないので、身の安全を重視するかたは、通らないことをおすすめします。

黒川」バス停に到着です。ここから、JR門司港駅まで路線バスに乗り、JRで西小倉駅に戻りました。

約4.4kmを1時間45分かけて歩きました。