豊前坊
豊前坊は、田川郡添田町の高住神社を元宮として県内各地に勧請されています。
由緒明暦3年(1657年)、江戸の大半を焼失した明暦の大火で江戸屋敷の延焼を逃れた小笠原藩は、英彦山権現を分霊し祀ったのが始まりと云われています。このお宮は、火焼[(ほやけ)とは、あざのこと]の治療にご利益があり、治った時にはホコが納められたと云われています。また、牛馬の神様として、11月の初丑の日にはお祭りがあり近在の人々が牛を連れて参拝していたと言われます。
境内には、文化五辰(1808年)八月に建立された鳥居があります。
この門司区畑の豊前坊は、玉泉寺という曹洞宗の寺のちかくにあり、清掃がいきとどいており、確証はありませんがおそらくお寺さんが併せて管理されているようにみうけられます。
豊前坊上宮
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県道71号線沿いに、おそらく県道といっしょに整備された階段があります。その先に、豊前坊の扁額が掲げられた鳥居があります。
土留めを兼ねた石段を登っていくと、10分ほどで社殿下にたどり着きました。
今回は地図にしたがい正面の石段を登りましたが、どうやらほかにも道があるようです。踏み跡があります。
また、社殿下にはなにやら建物が壊れた跡があり、もしかすると社務所や付随する仏堂などがあったのかもしれません。
見上げるとこんな感じです。
巨石に沿って、上宮の社殿が建てられています。隣には、石そのものが祀られていました。
社殿に鍵はかかっておらず、なかを拝謁させていただきました。
豊前坊大権現の提灯が吊り下げられ、石祠の前には線香の香炉があり、神仏習合の雰囲気がつたわってきます。
豊前坊下宮
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上宮の麓、玉泉寺の墓地や「玉泉寺前」バス停のちかくに、下宮があります。
上宮も丁寧な清掃がなされており、ひごろから管理されているのだと感じ入っていましたが、ここ下宮もきれいなものです。
地理院地図と微妙に違う?
今回の神社訪問時のGPSログを確認すると、上宮の位置がことなります。もしかすると、いまの上宮は移設後の姿なのかもしれません。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.27訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。