松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

10月27日の日録

今日の運動経路

ほんとうは飯塚市内で、ネットショップをいまからはじめたいというお話をいただいたお店のかたと打ち合わせをしないといけなかったのですが、ご家族が入院で延期となりました。

というわけで、小倉の知人事務所に顔を出して、昼の空き時間に「神社めぐり」です。

北九州市門司区の「豊前坊」を訪問します。

玉泉寺前」というバス停で下車します。

玉泉寺[曹洞宗][福岡県北九州市門司区]-お寺めぐりの友

玉泉寺は曹洞宗のお寺さんで、このあたりでは屈指の規模があり、バス停の名前にもなっています。次のバス停が「山門(やまかど)」その次が「御堂(みどう)」と、お寺由来の名を持つバス停が3つ続くほどです。

そのお寺の墓地に隣接した場所に「豊前坊」の下宮があります。

門司区大里柳・伊川・猿喰・平山周辺地区の史跡等

由緒 明暦3年(1657年)、江戸の大半を焼失した明暦の大火で江戸屋敷の延焼を逃れた小笠原藩は、英彦山権現を分霊し祀ったのが始まりと云われています。このお宮は、火焼[(ほやけ)とは、あざのこと]の治療にご利益があり、治った時にはホコが納められたと云われています。また、牛馬の神様として、11月の初丑の日にはお祭りがあり近在の人々が牛を連れて参拝していたと言われます。
境内には、文化五辰(1808年)八月に建立された鳥居があります。

墓地に隣接した道を抜けると、県道71号をアンダーパスするトンネルがみえます。

抜けると、ずいぶんと上のほうに上宮入口の鳥居がみえます。

県道整備のさいにあわせて工事が行われており、鳥居の入口までは登りやすい坂道です。

鳥居の先は、よくある石段で、土留めを兼ねて踏み幅がひろく、登りにくいのが難点です。それでもなんとか登ってみると、社殿の下にでました。石灯籠に上着をひっかけて、境内を撮影します。

石祠まるごとお堂をかぶせたかたちになっており、お堂のなかを拝謁することができました。

登るときは足元しかみていなかったので気づきませんでしたが、上宮の鳥居からは、先日訪問した猿喰地区とその向こうの海がみえます

県道下のトンネルを抜けると……。

お地蔵さんがありました。同じ道を往復しているのに、行きは気づきませんでした(どこをみてたんだろう?)。

下宮にお参りして、今日の軽登山は終了です。

あとでGPSログを比較して気づいたのですが、地理院地図とずいぶんかけ離れた場所に上宮があります。GPSの精度の問題にしてはあまりに違いすぎるため、もしかするとどこかで移設されたのかもしれません。