松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市博多区山王1丁目 日吉神社


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周囲は山王公園という公園になっており、ジョギングコースや野球場などが整備されています。この神社がある丘は、比恵山とも山王山とも呼ばれる「山」だそうで、福岡市の東比恵や比恵町、山王といった地名のおこりとされています。

社殿正面向かって左側に「光神社」があります。光の神社とはこれまた珍しいとおもってかんがえてみると、福岡県神社誌に境内社「庚申社」があるとあり、どうやら名前を言い換えたもののようです。

社殿正面向かって右側には、お稲荷さん(山王稲荷)があります。

福岡県神社誌に元禄10年築の石鳥居として出てくるのはたぶんこの二の鳥居だとおもうのですが、どうみてもコンクリート造です。砂利がセメントに混じっています。おそらく、一部だけがもともとの石鳥居で、なんらかの理由で補修されたものなのでしょう。

福岡県神社誌:上巻83頁
[社名(御祭神)]日吉神社(大山咋神)
[社格]村社
[住所]福岡市大字比恵字幸田町
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる、社説に曰く、日吉又は山王宮とも称へ比恵山の上に鎮座し給へり、古此の邑に日吉神を祀りて一村の産神とし奉る、然して此邑を比恵といひ山を比恵山(山王山とも称す)といへり。時に山の茂りのあさはかにて宮居あらはなし故にや其のほとりに大路ありて馬に乗り社前に打通りける人に必ず祟り給ひて往来のなやみありしかば、里人これを憂ひて御社を杜のかたへにうつし奉りぬ。其後は神の心おだやかに成り給ひしにや重ねて下馬の咎もなく久しき年を経たり。然るに此宮所は卑湿の地にして畢竟宮所に宜しからざれば、里人又相共に力をあはせ寛文六年丙午五月に御社をもとの山上に復し奉る(石鳥居は元禄十年建立)。其時宮所の地を整理せしが昔神殿の有けるあたりより一の石の櫃を掘り出せり、其中に銅にて作りたる円き形なる物あり是をよく穿削すれば疑もなき心の御柱なり昔は神廟高大にして末社も多かりしこととて今に若宮、田の天神、賀老神と称する叢祠三つ計残れり。又往昔国牧郡主より多く社領を寄附せられたりといふ、今宮近き田地に粢田、修理田、棟梁田、宮畝町などいふは皆往昔の神田、の名を今に称し伝ふるものなり。且又文政四年十二月、同六年七月、天保十年八月、弘化二年三月、萬延元年十二月藩邸の命により病気平癒の祈願を行ひ、文政八年十二月には拝殿造営に付藩邸より銀十五枚の寄附ありき。斯くの如く代々藩邸の尊崇篤かりしが殊に大守黒田忠之公は信奉深くして年毎に代参ありき。又かつて画工に命じて猿の絵を写さしめ寄進し給ひたり。
[境内社(御祭神)]稲荷神社、庚申社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.21訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

10月21日の日録 - 美風庵だより