松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区皿山1丁目 山王神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

遠くからもわかる御神木のクスノキは、福岡市の保存樹に指定されています。

鳥居には「山王神社」の扁額があります。

山王神社

祭神
 大山咋神(山の神)
 火産霊神(火の神)

山王神社の創建は不詳ではあるが藩政時代に黒田藩の御用窯として野間焼が始められた。当時の陶工業の代表が京都におもむき、大山咋神と火産霊神の御分神をいただいてきた。旧御社殿は明治二十九年(西暦一八九六年)四月に建立されたものであり、なお現在の御社殿は平成六年七月吉日に御遷座されたものであります。

案内板では状況がいまいちわかりません。

皿山 (福岡市) - Wikipedia

地名の由来

地名は福岡藩が1856年(安政3年)に京都から佐々木与三ら陶工を招き、京焼に類似した陶器を生産させたことに因む。同じ福岡藩内の須恵焼や高取焼と同じく、主に土瓶、急須、茶碗を生産していた。明治維新で廃窯しかけたが、1875年(明治8年)須恵焼窯の陶工であった沢田舜山によって染付磁器窯として復興。野間舜山の名で珍重される磁器の生産地となった。その後、大正時代から昭和の初期まで汽車土瓶を製造していたことが知られている。

むしろwikipediaの「地名の由来」のほうが、状況をわかりやすく伝えています。

黒田藩があらたな特産品開発として京焼の職人を招き、京焼に似た陶器、つまり染付陶器を焼かせたことにはじまります。その際、京から招いた職人さんが、比叡山の分霊をもってこの地にやってきたのです。

1856年に職人を招いているのですから、それより過去に下ることはありえません。

須恵皿山役所という、商品(焼物)とその職人を管理する役所が出来たのが1862年で、1870年(明治3年)に廃窯という資料もあり、いずれにしても幕末の創建とみて間違いないでしょう。

石段のさきに見える社殿は、なんと赤と黒です。

イケてる気もしますが、ふだんお宮でこの色づかいはみないので度肝をぬかれます。

しかし、かりにここが比叡山からの勧請として、大山咋(東本宮)なら葵紋でしょうが、本殿の横には太極図みたいなのがあります。ほかにも祭神があるのでしょうか?

ふるい絵馬も復元され、立派になっています。2,3年ほど前に何社かで絵馬を再絵付けしたものをみましたが、ここはみえる範囲ぜんぶ行われており、力のいれようがちがいます。

もう一点おどろいたのは、いわゆる海老紙(戎紙)です。

これまでずっと見落としてきたのかもしれませんが、九州福岡で海老紙は非常に珍しいとおもいます。

御花寄せ管理システム:戎紙(えびがみ)・花代管理/簡単に綺麗に印刷

九州島外ではよくみかけますが、神社だと……どうでしょうか?

いずれにしても、文化習俗ふくめて元は他から持ち込まれたもの、ということがよくわかる場所です。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.16訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

9月16日の日録 - 美風庵だより