松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

9月16日の日録

今日の運動経路(秋の在庫一掃?編)

18日から19日にかけて、お出かけの予定でがんばってスケジュールいれてましたが、お出かけできなくなりました

朝確認したとおり台風がすすむと、ほぼ間違いなく、日曜・月曜は、自宅軟禁です。

これまで事前にリストを作成し、時間いっぱいまで各地を歩いてきたわけですが、時間切れとなり途中で引き返した「端切れ」もけっこうたまっています。

ほかの神社ふくめてあらためて巡回リストを組みなおすことも多いのですが、ほかが地図で見当たらなければ、あとまわしなわけで……。

ということで、今回はリストアップしっぱなしで塩漬け中だった神社をいくつか、訪問しました。自宅軟禁中に「神社めぐり」の記事つくろう……(がっかり)。

福岡海星女子学院前」バス停から、今日の散歩はスタートです。

福岡市南区鶴田3丁目の老松宮(老松神社)です。

目の前の公園と隣の集会所のおまけみたいな配置になっています。なにかの習いごとでしょうか。集会所から人々の会話が聞こえます。

本殿は、物置と塀で完全に隔離されています。

今昔マップ」で現在の神社と戦前の位置を比較してみると、この公園や集会所ふくめ道路拡張にあわせて30mほど東にズレていることがわかります。おそらくそのときに、主従逆転して集会所や公園がメインになったのでしょう。

この神社は福岡県神社誌には記載がありませんが、若久住吉神社(宮司の本務社)のホームページで、ご祭神は菅公と高良玉垂命と紹介されています。

次の老松宮(老松神社)は、googleマップでは日吉神社と記載があります。

蓮正寺(れんしょうじ)というお寺さんの本堂と納骨堂のあいだから、参道がのびています。このお寺さんは江戸時代の文献にも名前があるところで、むかしは鎮守・神宮寺の関係があったのかもしれません。

この老松神社も、ご祭神が菅公と高良玉垂命です。この屋形原という土地、なにか筑後と関係があるのでしょうか?

むかし聞いたのは、廃嫡された殿様の息子が閉じ込められた屋敷があったことから「屋形原」となったというもの。父が世継ぎとした弟やその子息が早死にし、綱之公の祟りとおそれられたとか……。兄弟それぞれに子分が居て、だれを殿様にするかで暗殺までやってたとかなんとか。

屋形原」バス停でバスを待ち、「中尾二丁目」バス停まで移動します。

バスを降りてgoogleマップと「スーパー地形」の地理院地図を見比べて道を探していると、目の前にぼろぼろの祠と鳥居があります。

恵比須神社でした。焦点があわず歩道ぎりぎりの位置でiPhoneを構えたのですが、それでも全景は撮れませんでした。

「皿山中央公園」で、トイレを借ります。自販機で買ったコーヒーをいただきながら歩くと、山王神社の御神木がみえてきました。

山王神社に到着です。

この辺りの地名「皿山」は、黒田藩が京都から陶工を招き、京焼を焼かせたことにちなむものです。黒田藩の藩窯というと高取焼が有名ですが、高取は色絵付けではありません。絵付陶器の生産ももくろんでいたようです。

この山王神社は、招いた陶工が勧請して持ってきました。

分社のまた分社ではなく、比叡山の直系です。

赤と黒のコントラストが、なかなかイカしています。

さすが当時の首都から神社もって陶工が移住してきた地域というだけあって、拝殿に海老紙があります。いっしゅん「魚」にみえなくもないですが、角のながさで、イセエビっぽさが伝わります。

皿山三丁目」バス停から「野間大池」バス停まで移動します。

道を見落とし、うっかり分譲マンションの敷地に入り込みました。引き返し、見落としていた路地をすすみます。

福岡市立若久小学校がみえてきました。

路地をすすむと階段があらわれます。のぼると、若久住吉神社に到着です。

御神木はヤマモモの木とあるのですが、よくみると幹に穴があいています。

否、穴ではなく、複数のひこばえがくっついて、一本の木にみえているのです。

すごいですね。自然って。

神社の正面参道側に出て「宮の下」バス停から、現場に向かいました。

今回はぜんぶで3km歩きました。

きょうも「民間防衛」

敗北主義

それは猫なで声で最も崇高な感情に訴える。諸民族の間の協力、世界平和への献身、愛のある秩序の確立、相互扶助……戦争、破壊、殺戮の恐怖……。

そしてその結論は、時代おくれの軍事防衛は放棄しよう、ということになる。

新聞は、崇高な人道的感情によって勇気づけられた記事を書き立てる。

学校は、諸民族との間の友情の重んずべきことを教える。 教会は、福音書の慈愛を説く。

この宣伝は、最も尊ぶべき心の動きをも利用して、最も陰険な意図のために役立たせる。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる

ほんとうにそうですね。「9条をまもれー」と言っているみなさんのことですね。

まだあと100ページくらいあるのですが、このあたりから、共産主義者にたいする攻撃が延々とつづきます。1960年代のスイスって、そんなに赤化で荒れていたんでしょうか?

風がもうつよい( 一一)

雨が降ったりはしていませんが、もう風が吹いています。

あしたになったらまだ吹くでしょうから、いまのうちに鉢植えを取り込んでおきました。

https://www.metoc.navy.mil/jtwc/jtwc.html

これ、ちょっと北にズレたら伝説の台風17号です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/95/Kinna_1991_track.png

平成3年台風第17号 - Wikipedia

特に風による被害が九州で発生した。佐賀市で観測された54.3m/sの最大瞬間風速は、2週間後に上陸した台風第19号を凌ぐ風速である。水稲への被害の他に、梨などの果物が暴風で落とされる被害が深刻であった。また、風倒木の被害も出た。

めんどうなのがやってきましたね……( 一一)