松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区柏原 羽黒神社


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一の鳥居の扁額は「羽黒大明神」です。

「神殿跡」という石碑があり、さらにその裏に石段が伸びています。

石碑の裏には昭和55年と彫られています。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

昭和59年(1984年)発行の地理院地図と比べれば、昭和55年までここに神社があり、現在の姿は、戦後に建てられたものだとわかります。それにしても、花畑園芸公園や桧原・柏原のあたりって住宅だらけだとおもってたんですが、むかしは違ったんですね……。地図をみるとあまりの様変わりにおどろきます。

どこからみても立派な社殿です。清掃も行き届いています。

羽黒神社由来碑

名称 羽黒神社
祭神 大巳貴命(おおなむちのみこと)
祭礼日 正月三ヶ日 四月十五日 九月十五日 十一月十五日

由来

創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(一五八六年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと考えられる。
江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その武運長久、家内繁栄、無病息災と五穀豊穣の祈祷所でもあった。社殿等の新改築はその寄進による、特に神殿は荘厳は桃山造りで文化財に相当するものであった。また明治の初めまでは付近の集落の産土神であった。
昭和二十年六月十九日福岡空襲によって社殿は焼失したが、昭和二十一年氏子によって再建され現在の社殿は昭和五十五年に再建されたものである。
現存する鳥居、燈籠等の石造は江戸時代に建造された物が大部分であり当社の歴史を示す文化財である。
なを、文化、文政期における福岡藩主の信仰を示す文書も現存している。

平成元年五月吉日
福岡市文化会館史料による 

この広い境内は、1980年(昭和55年)の改築のさいに造成したもののようです。

こちらが福岡県神社誌に記載のある埴安命を祀る天神社でしょうか。

基本的に福岡県神社誌においては、無格社は由緒等の記載がありません。いくつか例外があり、この羽黒神社にかんしては、記載があります。

「氏子区域及び戸数」が546戸とあります。戦前の時点でコアな崇敬者が500人以上居るのなら、たしかに財政基盤は堅固なはずです。

こちらが同じ柏原にある「埴安神社」の全文で、氏子区域及び戸数は90戸となっています。無格社のほうが、多い……。

最後にひとつだけ気になった点を。御神紋が亀甲紋です。大国主(大己貴)を祀る神社としては、亀甲紋はまったくおかしくないのですが、羽黒大明神というからには出羽三山が元宮(つまり巴紋)なはずで、どういう経緯で亀甲紋となったのか……。

福岡県神社誌:下巻345頁
[社名(御祭神)]羽黒神社(大己貴命)
[社格]無格社
[住所]福岡市柏原字林崎
[由緒]本社大己貴命を祀る、由緒審ならさるも文化の以前の頃より此地に鎮座ましましたる事は同社の覚書に記され尚古老の言ひ伝ふる処なり、出羽国羽黒山より修験者山体によって勤請せられ代々の藩主の崇敬殊に篤く文化年中より新間方様屢々御参詣代参等差遺され奉幣神楽の奉納等取行はせられ此間神社の御造営御寄進等数々あり、武運長久五穀豊穣の御祈願あらせられ神具金品の御寄附等数十回に及び年隔たる今日に至るも崇拝者多く神徳を慕ひ参詣者遠近に及ふ。
[境内社(御祭神)]天神社(埴安命)
(2022.09.13訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

9月13日の日録 - 美風庵だより