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鳥居がわかりにくく、最初うっかり通りすぎてしまいました。
大正時代の地図と比較するとわかりますが、訪問当日に歩いた道は、むかしは存在していません。また、集落内の道にも背を向けています。
干拓地の守り神として、干拓地に向かって建てられていたことがわかります。
集落内を走る里道の名残りでしょうか。
鳥居は厳島神社です。
19 明神様 厳島神社
由緒 不詳。ただし、猿喰新田の開作に当たって、石原宗祐の実弟柳井賢達が新田の門司側に厳島神社を創建したと伝えています。境内脇に天保15年辰(1844年)と寛政11年未(1799年)に建てられて墓石が祀られていました。
拝殿と本殿の石祠は一段高い位置にあります。道路ができ、樹木が育つ前は、おそらく干拓地をみわたすことができたことでしょう。
岡崎厳島神社
この厳島神社は兄宗祐と共に、猿喰新田を造った柳井賢達の徳を称えこの場所に向かいの厳島神社(裸島) と同じように新田を守るために造られました。ここには、柳井賢達の墓碑が建てられていますが、本当のお墓は真光寺にあります。(門司区旧門司一丁目)
境内には墓石が3つありました。
眺めてもどれが誰のものかまったくわかりませんでした。申し訳ありません。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.09訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。