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たどり着くのに苦労した神社です。おそらくジモティのみなさんは、地理院地図にない裏手の里道(農道)につながる道から登ってきているようです。
地理院地図に点線で歩道が示されていますが、すっかり竹林と化しています。
私は間違えて神社裏手の獣道をよじ登りましたが(当日の日記参照)、正規の道だと、ちょうど社殿の横に出ます。
途中、梅鉢紋の瓦が落ちていました。
また、境内だったと思いますが天満天神(菅原道真命)もお祀りされています
インターネットにこのような情報があり、私は発見できませんでしたが、10年前は境内に天満宮も存在していたようです。この瓦は、その残骸でしょうか?
焦点があわず広角に切り替えたため、社殿全景がみにくくなっていますがご容赦を。
福岡県神社誌では、御祭神は少彦名命、つまり事代主(えびすさま)ということになっています。
おそらくこの神社の元宮とおもわれる古賀市薦野の天降神社は、大国主、事代主(えびす様)、スサノオさんをお祀りしています。
同じ県内にある天降神社でも、糸島に行くと、祭神がニニギになっているところがあります。
【崇神天皇の生誕地はどこか[4・終]】田川郡川崎町川崎 天降神社 - 美風庵だより
[社名(御祭神)]天降神社(瓊瓊杵尊、太玉命、児屋根命、彦火火出見命、豊玉姫命、玉依姫命、彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、磐余彦命、鵜草葺不合尊)
田川郡川崎町にある天降神社も、福岡県神社誌ではニニギが筆頭にみえますが、現地訪問すると、天降神を鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)としていました。
この場合、宮中で神々の筆頭として祀られていた8神を、祭神としてあてはめた、ということになります。
おそらく、元の姿は崇神天皇(とその祖先と一族)を祀っていたものが、皇室の神ということから、日本書紀その他の文献に従い、このように変貌していったのでしょう。
飯塚市庄内元吉(旧嘉穂郡庄内町)にある天降神社は、なんと宮中八神殿の神様で置き換えられていました。
つまり、「天降:あまおり、あもり」という社号には「支配者の祖先を祀る」という意味以上のものはないことがわかります。「天降天神」という神様は居ないのです。
糸島ではニニギが天降神(支配者)で、ここ粕屋・宗像では大国主・事代主が天降神(支配者)、そして田川・川崎では鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)が天降神(支配者)というわけで、元は同じだったものが、支配者の変更にともない神様をすげかえた結果なのか、どうなのか……。まだまだいろいろかんがえてみる必要があります。
小さいお宮ですが、重要な鍵を握っています。いつまでも存続してほしいものです。
福岡県神社誌:下巻388頁
[社名(御祭神)]天降天神社(少彦名命)
[社格]無格社
[住所]宗像郡神興村大字村山田字天神
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.07訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。