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小笠原藩造営の神社によくある、わざと敷地ぎっちりに拝殿を建て、大きく見せる構造です。
そのためiPhoneのカメラで正面からとらえると、距離が短すぎてゆがんでしまいます。
本殿はなかなか立派な木造で、境内のすみに3つ石祠が並んでいます。
これだけの規模の神社ならなにか資料があってもよさそうなものですが、現時点でみごとにみつけきれていません。ただ、御祭神をみるかぎり、どうやらなかみは貴船神社のようです。
福岡県神社誌:下巻453頁
[社名(御祭神)]日合社(高淤加美神、闇淤加美神、彌都波能売神)
[社格]無格社
[住所]企救郡中谷村大字畑字火合(注)松ヶ枝村の誤りと思われます
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.18訪問)訪問当日の様子はこちらに掲載しています。
2022.8.19追記
北九州市立中央図書館で1931年(昭和6年)発行の「企救郡誌」を確認しました。国立国会図書館デジタルコレクションでも公開されています。
なんと福岡県神社誌に記載の御祭神は、どこから資料が混入したものかわからないレベルの誤記でした。
元は、御祖社か妙見社だったものに、同じ畑(はた)地区の貴布禰社を明治になって併合し、日合社としたもののようです。
御祖社?妙見社?としての御祭神が、天之御中主、イザナギ、イザナミ、大山祇、猿田彦(彦火火出見、山幸彦)。
貴布禰社が、高淤加美神、闇淤加美神、クラミツハ、大山祇。
福岡県神社誌は昭和初期に集めた資料を4年かけて編集して昭和18年発行のはずで、企救郡誌を参照しているはずなんですが……。