松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市門司区黒川東1丁目(旭谷) 貴船神社(貴舩社)

本文。


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25 無格社 貴布禰社 門司市大字黒川字向山
26 無格社 貴船神社 門司市大字黒川字小倉
27 無格社 貴布禰社 門司市大字黒川字谷門

福岡県神社誌下巻450ページに、門司区大字黒川で貴船神社が3社掲載されています。googleマップと比較すると、現在2社はのこっているようです。

消防団車庫の横に石段があります。

石段の踊り場正面は、むかし寺があったそうです。

貴舩社の一の鳥居は、左側にあります。

枝が邪魔ですが、扁額は「貴舩社」です。

社殿手前に結界があります。どうやら土俵のようです。

木々が邪魔でうまく全景を撮影できませんでしたが、横広の拝殿、細い渡り、本殿と、小笠原藩が手がけた神社でよくみる様式です。

拝殿内の扁額も「貴舩社」です。拝殿のあちこちに、耐震補強の金具が取り付けられていました。

社殿正面向かって左側に境内社があります。玉垣に「若宮講中」とあるため、若宮、つまり仁徳天皇を祀っているのかとおもい近づくと、社殿には笹竹と兎の装飾があります。ここは三輪の神(大国主=大己貴?大物主=大山咋?)を祀るのか?とふと疑問も感じましたが、違うかもしれません。

本殿と境内社のあいだに、なにかいわくのありそうな石が2つ並んでいました。

最初、これをみてえらく低い位置に注連縄下げてるなぁ、くらいにしかおもわなかったのですが、これ、進入禁止のゲートなんですね。考えたひと、センスあるなぁ……。

門司|黒川貴船神社

明和年中(1764~1771)にイナゴの害があり、 村民が協議し祀ったとされる。 その後1805年に再興された。 当初は向山にあり、後に現在地に移されたものである。 元の場所には古宮(こきゅう)がある。

門司区大積周辺地区の史跡等

祭神 高淤加美神、闇淤加美神、弥都波能売神、仁徳天皇
由緒 創建等不詳

インターネットにはほとんど情報がありません。イナゴの食害に悩まされ貴舩社を祀ったという点と、どうやら若宮講中とある境内社が仁徳天皇で間違いないといったくらいです。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.16訪問)

訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

8月16日の日録 - 美風庵だより

 

2022.8.19追記

門司市史 - 国立国会図書館デジタルコレクション 

北九州市立中央図書館でみつけた、地元のかた編纂による郷土誌「黒川村誌」に「字図」がありました。 

1933年発行の「門司市史」と「黒川村誌」を突き合わせると、黒川東1丁目の貴舩社は、旭谷貴船社とされているものと同一とわかります。

もう一方の貴船社は、小倉貴船社です。

(1)旭谷貴船社(北九州市門司区黒川東1丁目7−8付近)

御祭神 高淤加美神、闇淤加美神、罔象女神(みずはのめ)

1880年(明治13年)に字谷門の八坂神社(御祭神はスサノオさん)を合併。

福岡県神社誌の字「谷門」にある貴船社の記載は、資料の取り違えによる誤記。

(2)小倉貴船社(北九州市門司区黒川1026付近)

御祭神 高淤加美神、闇淤加美神、罔象女神(みずはのめ)

残るは字「向山」の貴船社ですが、ここは現在、九州自動車道(関門自動車道)となっており、土地が存在しません。

社殿脇にあったのは境内社ではなく、高速道路建設で引っ越してきた向山貴船社本体だとかんがえられます。

インターネット上の各種情報は、高速道路建設で廃社となった向山貴船社に対しての説明が、なぜか統合先の旭谷貴船社にたいして行われています。じっさいには移転先なので間違いではありませんが、注意を要します。

どうもイマイチわからなかったのですが、やっと整理できました。