・本文(2023.05.20掲載)
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川崎市バス塩浜営業所から、歩いて数分のところにあります。
神明神社
御祭神 天照大神
徳川幕府は江戸を新都と定めるに伴い軍事上上方からの塩の途絶をおそれ東京湾諸村に塩田の開発を奨励した。大師河原村では寛文年間に塩浜が開かれ塩の生産が始まり、やがて塩浜地区の鎮守として神明社が祀られた。
現在本殿の石製厨子に「延宝七年」(一六七九年)の銘があり「新田鎮守」と記されているので当社の勧請はこの年の事と見られる。現社殿は「安政元年」(一八五四年)造立の神明造り本殿に拝殿を附設したもので向拝等の装飾によくこの時期の特徴が表れている。なお拝殿内に明治十九年(一八八六年)奉懸の大きな扁額がある。これは幕末から明治にかけ各地を襲い多大な犠牲者を出した「コレラ」のさい塩浜の人々が神明社の加護により救われたことを謝したもので当社の御神徳と氏子の崇敬を表白した貴重な証である。稲荷神社
御祭神 宇賀之御霊神
本殿内に延享元年(一七四四年)奉納の木製白狐があるが創立がいつの事かは不詳である。一般に稲荷の神は穀物の豊穣を司る神として農民の間に信仰が厚い当社の場合も「浜の稲荷」と呼ばれ塩浜地区の村民の祈願によって斎き祀られてきた。現社殿は昭和三十二年都市計画により現在地に移し新築したものである。
塩釜神社
御祭神 塩土老翁神
製塩を業とする塩浜の人々の職業であり古来安産の神としても信仰された。勧請の年代は詳らかではないが神明社の創立とさほどへだたりはないであろう。塩浜は元禄十年(一六九七年)に約二十余町歩の塩田を有し明治四十三年の廃塩時にも釜屋やは九ツを数えた。その製塩のさまは「江戸名所図会」に紹介されている。石製狛犬の台座銘には江戸塩問屋名もみえ製塩の盛んであった頃が偲ばれよう。
社殿は昭和二十年五月戦災で焼失し同三十九年新築されたものである。塩浜自治会・塩浜今昔会
こちらが、1957年に境内に移転してきたお稲荷さんです。
製塩の神様として、塩土老翁が塩釜神社に祀られています。
お稲荷さんの横にある石碑がよくわからなかったのですが、どうやらこれ庚申塔とお地蔵さんのようです。
(2022.07.27訪問)
追記(2023.05.20)
「自宅が映りこんでいる」とコメントがありましたので、背後のアパートに加工いたしました。