「報道姿勢に問題。マスゴミの凶器化を許すな。」
秘書官の発言そのものは、いくらなんでもなぁ、とはおもいますが、引きずりおろすためにやっていいことと悪いことがあるという趣旨で書いています。
今朝、昨日の夕刊と今日の朝刊をまとめてチェックをしていたら秘書官更迭の件が毎日新聞の1面でした。
荒井勝喜首相秘書官に対する3日夜の首相官邸での取材は、録音や録画をせず、発言内容を実名で報じないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を前提に行われ、毎日新聞を含む報道各社の記者約10人が参加した。
(略)
本社編集編成局で協議した結果、荒井氏の発言は同性婚制度の賛否にとどまらず、性的少数者を傷つける差別的な内容であり、岸田政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だと判断した。ただし、荒井氏を実名で報じることは、オフレコという取材対象と記者の約束を破ることになるため、毎日新聞は荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えたうえで、3日午後11時前に記事をニュースサイトに掲載した。
だいたいマスゴミに見識なんてものがあるわけないのですが、久しぶりに腹がたちます。「オフレコ破りに問題はない」と毎日新聞がコメントを書かせた私大教授は、もともと共同通信社の記者さんです。同業者にあたるわけで、名前を見てピンとこなかったら、中立の立場の人間が「内容によってはオフレコ破りOK」と言っているかのようにおもうでしょう。同業者が同業者による擁護を白々しく掲載して言い訳する根性って、どうなんでしょうか?
そしてこれ「カネになる、話題になる」とおもえば、本人に「あなたの個人的見解はわが社からみて見過ごせない差別発言としかおもえないので、公表する」と通告しさえすれば、横紙破りがまかりとおるというわけです。気に入らない奴の足を引っ張るため、オフレコ破って「潰す」。しょせんマスゴミはマスゴミとはいえ、なにをかんがえているんでしょうか。
オフレコ発言は発言者の了解を得なければ、原則としてオフレコ解除をしてはならないとされる。
取材源の秘匿の観点から、しばしばジャーナリズムの義務かつ権利として主張される。たとえ法律違反を前提とする発言でも取材源の秘密は守られるべきであり、また公権力もこれを尊重すべきだという考え方は報道関係者を中心に根強い。
(略)
日本新聞協会編集委員会はオフレコについて「ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない「取材源の秘匿」、取材上知り得た秘密を保持する「記者の証言拒絶権」と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある。」と述べている。
これまでの言動からわかるとおり私は現与党なんて支持してませんが、まったくもってこれはフェアではありません。あきらかに刑事事件ならいざしらず、常識で考えられますか?
そもそも他社が黙っている時点で、通念上問題としてこなかった範囲なのです。
この件、いちばんダメなのは岸田文雄で、本人更迭と一緒に毎日新聞の横紙破りに反撃するべきなのです。いまだにそれをやっていません。これが一国の宰相、民主主義を守るべき男の姿かとおもうと、情けないったらありゃしない。
自民党
自民党へのご意見フォーム | ご意見フォーム | 自由民主党
公明党
首相官邸
ご意見募集(首相官邸に対するご意見・ご感想) | ご意見・ご感想 | 首相官邸ホームページ
【件名】
「報道姿勢のほうに問題。マスゴミの凶器化を許すな。」
【本文】
オフレコ取材報道の経緯 性的少数者傷つける発言「重大な問題」 | 毎日新聞
問題発言と自社が判断すれば、事前通告があれば社会的に抹殺してよいという言い訳を許すな。マスゴミ毎日新聞の報道姿勢を検証せよ。これでは「社会の公器」どころか「凶器」ではないか。与党(官邸)はしっかりとマスゴミによる政権攻撃に対応せよ。
久しぶりに朝から与党と首相官邸のご意見フォームに投稿してしまいました( 一一)
購読料やすいから毎日新聞にしたけど、いまの契約は更新しません。
でももう、毎日より安いところ産経しかないのよね……トホホ(泣)
今日の「神社めぐり」
打ち合わせがあり、少し早めに小倉に出てきました。
JR下曽根駅から歩いて、2社、神社めぐりをしました。
1社目の浮津島神社です。福岡県神社誌やgoogleマップと違い、現地扁額は「荒神社」とあります。
荒神森古墳
周防灘に面した砂丘の上に築かれた古墳で、全長約68メートル、後円部径約41メートル、前方部幅約41メートルあり、市内では最大の規模を誇る前方後円墳である。
後円部には円筒埴輪の列が二段になって巡っており、前方部にも何段かの円筒埴輪の列が巡っていたと考えられ、これまでに円筒埴輪や家形埴輪などが出土しており、築造時期は墳丘の形態や円筒埴輪などから、6世紀中ごろに比定される。
また、現存はしないが、近くにトントンの森、カンカンの森と呼ばれる2基の陪冢(ばいちょう)【大きな古墳の近くに近親あるいは従臣を葬った小さな古墳】があったと伝えられている。周堤帯を持つ前方後円墳は、市内には他になく、この古墳に埋葬された人が大きな権力を持ち、大和政権と深く結びついていたと考えられる。
この神社がある盛り土は、古墳です。市内でも最大規模の前方後円墳とされていますが、木々が生い茂り、姿がよくわかりません。
線路を挟んで、2社目の天疫神社が見えています。
2社目の天疫神社です。
今日はこの2社のみで、JR西小倉駅まで戻りました。
初午詣で
昨日は1日間違えて久留米・高良山の大学稲荷神社にお参りしてしまいましたが、今日はせっかくなので、JR西小倉駅で下車したあと、知人事務所まで歩く途中、八坂神社内の高倉稲荷神社と、敷地外にある高倉稲荷神社の両方をお参りしました。
以前、八坂神社と小倉城のあいだの石段でよく見かけ、たまに側溝のなかで寝ていた猫さんが、八坂神社境内をニャルソックの真っ最中でした。