今日もお札をいただきに行く。
おもいたったら全部やらないと気が済まないので、今日も新しいお札をいただきに行きました。


まずは久留米の高良大社に向かいます。さすがに昼から働く予定があるため、車で行きました。


到着後、まず高良会館のトイレをかりて、展望所で缶コーヒーをいただきながら休憩します。神社に行くと自販機でたいていコーヒーを買うのは、小銭をつくるためです。ここは、境内社と本殿で最低小銭が6枚必要です。
べつにそう決まっているわけではないのですが、学生のころからの習慣で、「の」の字の反対側から境内社を1社ずつお参りします。
この神社の社家の祖 武内宿禰(この場合の武内宿禰は、高良玉垂命でしょう)を祀る印鑰神社の御利益に「命乞」とあるのがどうもながねん気になります。
「精選版日本国語大辞典」をみると、命乞いの意味は2つあることになっています。すでに「延命長寿」はすでに御利益のなかに項目としてありますから、「殺されるはずの自分(他人)を助けてくれと神仏に祈る」ほうで「命乞い」を記載しているはずなのです。
たしかに玉垂宮神秘書には「物部を祀る神社であることは外部に秘すべし、バレると高良山は滅亡」とありますから、簒奪王朝下、おとなしく生き延びる道を選んだことはわかるのですが……。いったい誰の命乞いを。


神輿庫の案内板にも、住吉大明神(鵜葺草葺不合命:うがやふきあえず)の紋章が五七桐紋とあります。
装飾がきれいです。
授与所で神棚の御札と家内安全の木札をいただき、駐車場に戻ります。
途中、神籠石の列石(一部)をみることができます。ここから奥宮に登ることもできますが、さすがに登山の格好はしていないので、今日は断念しました。


つづいては、我が家から車で10分ほどの大己貴神社にお参りしました。
遥拝所から、御神体山に手をあわせ、そのあと授与所で神棚の御札をいただきました。


最後に、寺内の美奈宜神社を訪問します。楼門?神門?の扁額は「至誠」です。


池の鯉に、さいきん麩をやりに来ていないことをおもいだしました。「神社めぐり」をはじめてからここの月参りサボってますが、ちゃんとしないといけません。
ここは手水舎がなく、噴水で手を洗います。
毎年10月22日の美奈宜神社(荷原)の秋の大祭(おくんち)が行われます。
祭りに奉納される御神幸行列は、朝倉市指定無形文化財です。
御神幸行列の中の羽熊の振込みは参勤交代を模したものなので、参勤交代が定められた寛永12年(1635)以降のことと推測できます。祭りに使用されていた面に文政9年(1826)の記述がありますので、その頃にはこの行列も成立していたと考えられます。
おくんちの準備のため、拝殿がぐるりと幕で覆われています。
これで前回受領日から300日以上経過しているのは、下関・長府の忌宮神社・荒熊稲荷さんの御札だけとなりました。小倉に行ったとき、時間をみて長府まで足をのばしましょうかね……。
法務局の登記手続きが終わりました。
5年間休業していた個人事務所の解散登記を、他人にやってもらうおカネがないので自力で書類つくって法務局に送りました。
法務局のオンライン申請から、手続き終了の通知が来ました。補正指示とかなにかあるだろうとおもっていたら、一発通過です。ありがたいですね(^^♪
さっそく、登記事項証明書をオンライン申請で2通(県税事務所と市役所ぶん)申請しておきました。着々とすすんでおります。