松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福津市在自 金刀比羅神社


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境内に入ると鉄筋コンクリート造の建物があります。

宝物収蔵庫とされているようです。

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右を向くと、神社につづく階段がありました。階段を登ると、空き地があります。

御座殿というのをよく知りませんが、「表御座」とは宮中で日中、天皇が執務するところですから、神殿を示していることはたしかです。

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境内にあがる階段があり、両脇に守衛の石祠があります。

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本殿には風雨からまもるための覆屋がかけられ、外から拝謁できないようになっています。

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ここはきちんと「金」の字が、讃岐のこんぴらさんでみかける特殊な文字です。

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拝殿には祇園社と厄神さまにもお参りするよう案内が貼り付けられていました。ジモティではないため私は遠慮しましたが、疫病退散のお守りがお賽銭箱のうえで配布されていました。

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社殿正面向かって左手に、ずらりと境内社が並んでいます。

奥から、須賀社(祇園社)、貴船社、保食社、厄神社、道祖伸とあり、一番手前に合祀した牧口宮が鎮座しています。

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宝永年間に修験僧元海が天蓋山頂に建立し、その子大澄が享保の初め、讃岐から金毘羅神社を勧請し、後に孫の秀関が寛延年中にこの地に移したと伝えられています。
海上安全、五穀豊穣、無病息災を祈願する絵馬や九月九日の御神幸祭での大名行列が有名です。
津屋崎町

在自山(福岡) | YAMAP / ヤマップ

天蓋山とは、現在の在自山(あらじやま)を言うようです。「あまおいやま」と振り仮名のある資料と「てんがいざん」とされた資料があり、どちらでも通じるのかもしれません。

天の蓋(ふた)が「あまおい」というのはどうも不思議なので、神社境内散歩?中のかたに訊ねたところ「雨乞いですよ。雨乞い。水がなかったから。在自(あらじ)って今は書くけど、むかしは在じゃなくて荒、荒地って書いたんです」とのこと。一瞬、(このひとジモティなのか?まさか同業の古代史マニアじゃねえだろうな?)とおもいましたが、ほんとうのところは不明です。

福岡県神社誌:上巻156頁
[社名(御祭神)]金刀比羅神社(大物主神、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、大己貴命、少彦名命、大海津美命)
[社格]村社
[由緒]讃岐国より当地字天蓋山へ分霊の社と古老の口碑に存すと雖も勧請年号不詳正徳二年平原に遷宮。祭神応神天皇、仁徳天皇、神功皇后は字観音谷村社八幡神社、祭神大己貴命、少彦名命、大海津美命は字裏谷村社牧口神社として祭祀ありしを明治四十四年六月二十一日合併し社号村社金刀比羅神社と改称許可村社八幡神社境内八幡神社は祭神同一に付合併と同時合霊せり。
社説に曰く、天蓋山頂古来大物主神を祀る、法印常住雨乞祈願して霊験あり。津屋崎塩田開拓に発奮し、一楽院秀清讃州より金毘権現の御分霊を合祀し、藩主松平筑前守綱政公の許可を得て正徳二年社殿を建つ。
[特殊神事]毎年旧八月九日津屋崎頓宮の御神幸あり、黒田公入国の行列式と獅子楽を奉納す、御供の善男善女山腹より頓宮の亘り延々長蛇の如く、大旗小旗夕日に飜り其の壮麗美観は近郷秋祭りの華とす。夜半三更の御還幸は路傍千燈明を照し笛太鼓の音律浦津に山彦し壮重厳粛云はん方なし。翌十日は奉納角力ありて近郡より陸続参拝せしが今は只面影を止むのみ。
旧十月十日の古式宮座は特色あり、近郷より参座混雑を極め年を逐ふて神霊彌高し。
[住所]宗像郡津屋崎町大字在自字平原
[境内社(御祭神)]貴船神社、須賀神社、保食神社、厄神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.15訪問)