美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

福岡市東区箱崎6丁目 将軍地蔵堂・泉稲荷神社




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ほとんど取り壊されて跡形もなくなった九大跡地と、JR鹿児島本線の高架にはさまれるように、将軍地蔵堂があります。

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お堂正面向かって右手には、ずらりと石でできた仏像やお地蔵さんが並んでいます。

そのなかに胸像があり、台座に文字が彫られていました。

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境内土地払下記念碑

当将軍地蔵菩薩はもと九州大学工学部内、旧還國寺跡に祀られていたが明治42年大学設置のときに此の地に移されて来たものである。
しかるに境内は町有地であったので町市合併のとき市有地となりこの侭にして置けば何時知らぬ間に無縁者へでも払下げられるかわからない憂ふべき状態にあるので筑紫頼定氏の助言もあり宗教法人将軍地蔵教会を設立し境内地払下げ運動起こしたものの容易に解決せず困惑していたが幸いにも市議会議員御田工氏等の尽力により昭和34年5月18日付を以て多年の宿願たる境内地弐百拾六坪を無償払下げを受けることに成功した。尚又相次いで数百年来郷土諸人が地蔵菩薩を主として信仰施餓鬼などを営み御祭りつづけてきた。本尊地蔵菩薩は昭和35年8月5日室町時代初期の貴重な石仏として福岡県文化財に指定され関係者の喜びこれに過ぎるものはない。よってこの機会に右の顛末を石に刻み払下げ土地と共に永久にのこすことになったのである。
地蔵教会代表総代中村政吉翁は夙に信仰の念厚く地蔵堂の修築に多額の経費を出費せられ尚土地払下げ運動には89才の老令を顧みず信仰的奉仕されたることを世話人一同感謝し碑上に翁の胸像を飾ることになった次第である。
昭和36年6月岩田藤三郎文鶴田善五郎書

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石造地蔵菩薩坐像 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財

本像はその中でも多く見られる形で、僧の姿で右手に錫杖を持ち、左手は宝珠(欲しいと思うものを何でも出すという玉)を持ったと思われる印相(手の形や持物)を表している。僧の形に描くのは、僧が民衆を導くのに最も親しまれ、信頼されている対象であり、錫杖をもっているのは、現世を隈なく行脚して、大衆の苦しみを見出して救済の手をさしのべることを象徴しているためと言われる。
残念ながら本像はむかって右半面の顔の表面が欠損しており、完全な表情はうかがえないが、面長で下膨れの輪郭、低く太い鼻、小さくひきしまった口、大きく孤を描いた眉に細い目など優しく包擁力のある慈顔である。体は、どっしりと組んだ膝に、なで肩の上半身が支えられ、浅い彫りの衣と共に華著な印象を与える。本像は台座から光背まで一材から彫り出されており、像本体はほぼ丸彫りに近い浮彫りである。本像は貝原益軒の『筑前囲続風土記』に記されるように、平重盛が育王山に金を送った際に持たらされたという伝えがあり、この地域の外交的位置を思わせるものがある。

現地案内板より福岡市のホームページのほうがよほど詳しいため、そちらを引用させていただきました。お堂というより車庫っぽい建物ですが、年に一度、御開帳があるようです。

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お堂の脇に、泉稲荷神社があります。祠の扁額は、「泉神社」となっていますが、鳥居は「泉稲荷神社」です。

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お堂の正面向かって左側と、お堂の背後は、なんと墓石です。

安政とか安永という文字がありますから、江戸時代のものでしょうか。もとの寺からいっしょに移設されてきたものなのか、わざわざ地元のかたが宗教法人を設立して守ったお堂だと考えれば、ここは墓地としても機能しているのか……。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.03.05訪問)