美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

8月9日の日録



色弱のおはなし。

うちの家系は各世代にひとりは色弱がいます。

私の従弟もそうで、義務教育期間中の視力検査はすり抜けたのですが、自動車学校入校時の検査でひっかかり、提携先の眼科で検査するよう指示されました。彼の母親がおどろいて私と祖父に訊ねてきたので「うちは代々だれか色弱は居る。全色盲は居ない。赤と緑が判別しにくいタイプ」と正直に答えたら、どうやら叔父はそのことを伝えていなかったようで、ずいぶんもめました。

最初騒いだだけで免許そのものはとれたものの、念のため就職の面談では色弱があることを申告させるようにしていました。

残念なことにこの従弟は私以上に会社転々虫で、あるとき、大学の先輩から声がかかりスカウトされかけました。そこの会社の面談で色弱がある旨を伝えたら、そこの常務だか専務だかから電話かかってきてお断りされたそうです。それを大学の先輩に伝えたら「会社がおかしい!職安に言え!おれも会社に言う!」と激高されたそうで、「どうしようか?」となぜか私と祖父に話が転がり込んできました。

私のようにパソコンを前にセコセコやるような仕事ではありません。彼がスカウトされた仕事は、毎日クルマで北部九州をウロウロします。やはり、会社が不安に思うのはしかたがありません。どう思うかと言われたので「会社はリスクはとりたくない。それを上回るメリットがあるとおもえば雇うだろう。今の会社をまだ辞めてないのだから、しばらく様子をみてはどうか。その大学の先輩が怒ってくれるのもありがたいが、雇う側、経営側が負うリスクも少しは想像してもよいとおもう」と伝えます。

それきり誰もなにも言ってこないので従弟にたずねると、ほかに転職する算段をべつの友人と考えていると言います。カラリと忘れているのであきれもしましたが、へんに引きずらなかったのはよかったかとおもいもしました。

で。これ、問題といえば問題なのですよね。労基署とか職安が、視覚検査をするな、と通達だしてますね。リスクがあっても雇え、というわけです。通達出すなら出した以上、お前が責任取るんだよな?とおもうのですが、なんとこのひとたちは無答責です。事故を起こせば雇い主が徹底的にやられます。

そして、運動団体というか圧力団体は、監督官庁に要求をのませることはしますが、要求をとおした以上、その責任を分担することはしません。のませたもん勝ちです。

要するに社会のめんどうごとを、末端におしつけて解決できたふりをしているだけなんです。ひどい話です。まぁ、私は天涯孤独な一人親方なので、こういうことは関係ありませんが、もう少しひとを雇いやすくする(強制・要求する以上は責任を分担する)法整備しないと、末端に無理をさせるだけが芸じゃないとおもうのですけどね。自民党さん、統〇教会と創〇の尻に敷かれてばかりいないで、こういうのも取り組んでくれませんかね?

今日の運動。門司で廃墟を探す。

当初、インターネットの情報で「市営住宅跡地」と記載しておりましたが、1950年築の「福岡県住宅供給公社畑田住宅」とのご指摘をいただきましたので、修正いたしました。(2022.8.10)

今日は小倉の知人事務所に出ました。

時間をみて、googleマップに「宮地嶽神社跡」とある場所を訪問しました。

北九州市門司区畑田町に来ました。目の前にあるのは、すでに閉鎖済みの福岡県住宅供給公社畑田住宅だそうです。地理院地図を再度確認し、左折しておそらく神社入口とおもわれるほうに向かいます。

もとはずいぶんと家が建てこんでいたようです。上物が取り壊された跡があちこちにあります。

途中、古い家屋がびっちり建っています。共用井戸があり、ポンプが見当たらないのでおそらくもう使っていないんだろうとおもっていたら、正面の家に洗濯物が干してあります。人が住んでいる?

地理院地図だと、おそらくこれが参道入口のはずです。登っていくと、左わきに家があります。どうやって建築資材を運んだのだろう?とおもう位置です。

登りつくと、全面通行止めになっていました。

妙な雑草のはびこりかたをしているとおもってよくみると、下は、バラックの屋根です。屋根のうえに雑草がはびこり、地面から屋根を突き抜けて笹竹が伸びて雑草を押し上げ、なにがあるのかわからないようにしています。

福岡県住宅供給公社畑田住宅の横から、違う道をすすんでみます。

自転車があるところをみると、この階段のうえに民家がある?

地理院地図では真正面の道しかないのですが(石祠があり、そのさきは空き家?で行き止まりです)、途中で町内会の掲示板らしきものがあり、道がわかれています。

3,4軒、空き家なのか民家なのかわからない家の横を歩いていくと、鳥居の脚がみえました。

誰も手入れをしていない草むらから、狛犬さんが監視していました。

ほんらい守るべき社殿は、跡形もありません。

このなかに分け入る勇気はさすがになかったので鉄網から推測するしかありませんが、これ、おそらく山崩れで社殿が崩壊し、再建しなかったのではないでしょうか。

道についてはこれがいちばん詳しいので、国税庁の路線価図をみると、やはり最初の石段が、参道で間違いないようです。鳥居のある位置とつながっています。

ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム (trc.co.jp)

福岡県立図書館が公開している大正時代の門司区の地図には、私がたどり着いた経路のみ記載があります。

逆光で見えにくいのですが、昭和2年とあり、おそらく昭和初期に赤線に沿って鳥居を建て石段をきれいにして参道を付け替えたが、なんらかの理由で廃社となり、旧来からの青線の道だけが生き残っているという状況だとおもわれます。

それにしても、今回は坂道の途中から熱射病とは違う気分のわるさを感じました。なにかに群がられたというか……。