美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

嘉穂郡桂川町土居 老松神社


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福岡県神社誌や現地の案内板によれば、現在の桂川町土居の辺りは、大昔は土師庄の一部だったそうです。長暦3年(1039年)に土井庄が分立するにあたり、土師の老松宮を勧請したとのこと。

嘉穂郡桂川町土師 老松神社(1) - 美風庵だより

嘉穂郡桂川町土師 老松神社(2・終) - 美風庵だより

桂川町土師地区の老松神社は、2年前に取り上げています。このときの文章を読み返すと、いまとなっては細かい部分に誤認があるのですが、大筋で現在の桂川町一帯が大国主の支配地であったという理解に変更はありません。

老松神社 (桂川町) - Wikipedia

創建年代については不詳であるが、社伝によればこの神社がある場所はかつてオオクニヌシとスクナビコナが諸国巡回の折に逗留した地であり、その後垂仁天皇の時代に土師氏の一族がこの地に出雲大社の分社として建立したといわれる。
後にオオモノヌシとコトシロヌシを合祀した(年代は不詳)。
創建当時の社名は『土師宮』と称していたが、その後万寿元年(1024年)に土師郷(現在の桂川町一帯)が安楽寺(大宰府天満宮)の荘園となった際に菅原道真を合祀し社名を『老松大明神』と改称した。 

大国主の元の名は大己貴(おおなむち)であり、天照大神こと卑弥呼とたもとを分かったあとの月読命こと大山祇(おおやまつみ)の息子です。そして博多のお櫛田さんこと大幡主に婿入りし、二人の領地を継承して「大国主」となります。

現在の宗像大社から博多・筑豊、そして田主丸周辺までを領した彼が、追い詰められ止めを刺されたのが、現在の筑前町弥永の大己貴神社辺りでした。現王朝は大国主を祀り上げるために、島根の「出雲」の地に吹っ飛ばし、そこに現在の出雲大社を建てて魂を押し込めます。

 

この出雲の起源は、どこでしょうか。

大国主の所領のほぼ中心部であった「出雲」が発祥ではないかと考えています。

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土居と土師の老松神社からほど近い、現在の国道200号出雲交差点付近の地名が「出雲」です。

チャールズ・サンダース・パース - Wikipedia

アブダクション - Wikipedia

アブダクションは、関連する証拠を(真である場合に)最もよく説明する仮説を選択する推論法である。アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についても尤もらしく、ないしは最良の説明へと推論する。

これはパースが言うところのアブダクションの検討過程であり、まだ確実な結論に至ったものではありません。四柱推命の結果だと、最悪30年ほどはまだ生き延びられるはずなので、ほかをながめつつ、答えを出していければとおもいます。

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福岡県神社誌だと境内には須賀神社があるはずですが、近づいてみると恵比須神社とあります。どうもいろいろと見落としがあるようです。 

福岡県神社誌:上巻320頁
[社名(御祭神)]老松神社(大国主命、大物主命、事代主命、菅原神、吉祥女)
[社格]村社
[住所]嘉穂郡桂川村大字土居字丁字丸
[境内社(御祭神)]須賀神社(素戔嗚命、高雄神、龗雄神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.09.19訪問)