生活困窮者です。
16日、つまり昨日なのですが、午後から高良山に登りました。古い航空写真とGPSを頼りに、放光寺浄水場からの林道?を登るコースでした。現地到着が遅れたため、一緒に訪問する予定だった神社などにまったく立ち寄ることができませんでした。日没までに下山するのがやっとでした。
日曜日も、ほんらいは名古屋に居たはずで予定は空白です。午前中に家を出て、前日歩きたかったコースを歩いてみることにしました。



まず、以前からリストアップしていた久留米市山川町と山本町の天満宮3社を訪問します。
国道210号線、久留米市山本町豊田日野曽根信号より南に1Km、耳納連山の中腹に向かう林道を進むと、放光寺跡地(善導寺より南西約4Km・車で約10分)があります。
この放光寺跡地は、善導寺史上最大の厄難の地と伝えられています。
天正12(1584)年、筑前立花城主・戸次道雪が、善導寺第19世祖吟(そぎん)上人(鎮蓮社大譽祖吟大和尚)をはじめ所化の上座12人、塔頭36人を放光寺に招き入れ殺害するという事件が起こりました。
当時善導寺の大檀那であった草野氏は、もと大分・大友氏に属していましたが、天正十二年、大友宗麟の元を離れて、佐賀の竜造寺氏と提携し、その所属となりました。そのため大友氏配下の戸次道雪は、草野氏を恨み、この殺害となったのです。


神社めぐりを終えたあと、放光寺天満宮から林道をあがり、夫婦池に向かいます。事前に聞いた話では、夫婦池のところに放光寺跡の案内板があるということだったのですが、それらしきものが見あたりません。


大量の土砂が流入した形跡があり、もしかすると押し流されてしまっているのではないかとも思えます。探すのを諦めて、昨日の登山路へ合流を目指します。
地理院地図を確認すると、夫婦池から昨日の登山路は、点線(歩道)でつながっています。この地図に間違いなければ、合流可能なはずです。


さっそく、ピンクのテープと踏み跡を発見しました。けっして歩みやすい道ではありませんが、これなら充分です。
(楽勝かも?)と思っていたら、いきなり道を見失いました。短く切断された間伐材がいっぱい転がっており、どこが踏み跡かも全くわかりません。ただ、GPSでなんとか現在位置は把握できるため、慎重に急登をよじ登ります。


しばらくよじ登ると、ふたたびピンクのテープや久留米市と彫られた境界標を発見しました。
見覚えのある場所に出ました。昨日、落ち葉が積もりすぎてどこが本道かわからなくなり、だいぶ地図を見返した場所です。
昨日の画像で言えば、夫婦池側から黄色の丸で囲んだ場所に出てきたことになります。
昨日と同じ道を歩いて、つつじ公園に出ました。前回の緊急事態宣言時は、つつじ公園の駐車場は閉鎖されていました。今回は、売店も営業しており、駐車場に車も停められます。しょうじき、駐車場が解放されていなかったため路駐があふれていましたから、あれに比べればマシかと思います。子供連れが、ボール遊びをしたりしていました。


北面コースで数名のかたとすれ違い、高良大社に到着しました。
高良大社を参拝後、高良山茶屋で、お昼に肉うどんとお稲荷さんをいただきました。
阿志岐坂コースを利用して、追分バス停まで下山します。


昔はもっと通りやすかった気がするのですが、すっかり荒れています。
この道をはじめて通ったのは、まだ学生のころでした。左折と右折を間違えて吉見嶽ではなく阿志岐坂方面に出てしまい、王子池に出るものとばかり思っていたため当惑したのをおぼえています。まだ、どの道がどこに出るのかをしっかり把握していなかった時代です。
この道は、民家の横に出ます。むかしはJR御井駅に向かう短絡ルートとして機能していたのですが、最近の登山ガイドは久留米大学前駅を起点としたコースを掲載しているためか、利用が少なくなっているようです。
今日は全体で14kmほど歩くことが出来ました。


土曜日が11,000歩で、今日が16,000歩ですから、なかなかよい運動をしたのではないでしょうか。