松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市小倉北区篠崎1丁目 篠崎八幡神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

 

f:id:bifum:20200723090031j:plain

f:id:bifum:20200723085559j:plain
f:id:bifum:20200723090127j:plain

【篠崎八幡神社 ―北九州市の八幡様―】

手入れの行き届いた素晴らしい神社でした。ほんらいは朱塗りが正解なのでしょうが、弁柄色のほうがシックで映えます。どこか神社としての落ち着きも増すようです。

【篠崎八幡神社 ―北九州市の八幡様―】 〓ご紹介〓御由緒〓

仲哀天皇9年、神功皇后三韓を攻め、凱旋して筑前国宇美にて皇子(後の応神天皇)を御出産。
翌年、穴戸(長門)の豊浦宮に向かう途中、鷹尾(高尾)山にさしかかると、皇子は山頂の大石を見るやその上に初めてお立ちになり、長浜や文字ヶ関(門司)から遥かに穴戸の方角を望み、「穴戸は近し」と言われたと伝わります。
敏達天皇12年、勅命によってこの故事に基づき、鷹尾山の麓、朝倉谷において応神天皇神功皇后仲哀天皇を祀り、葛城小藤丸をして祭祀に当たらせました。「篠崎神社」の創建です。(鷹尾山は現在地の約1㎞西にあったといわれています)
天平2年(730)宇佐八幡宮より分霊を勧請。「篠崎八幡神社」と改めました。

 ホームページから由緒を引用しました。現在の宇佐神宮では、比売大神を宗像三女伸と充てており、玉依姫の存在は消えています。玉依姫を御祭神にいまも残しているところに、篠崎八幡神社の誠意を感じます。表向き、ホームページでは「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の妻となり神武天皇を産んだ」と、記紀にならって紹介していますが、これはおそらく嘘とわかってやっていることです。

嘉麻市泉河内 泉河内八幡宮 再訪 - 美風庵だより

宝満宮と八幡宮が、戦前は誰がメインかの違いであったことはすでに書きました。

玉依姫鵜葺草葺不合命のあいだに出来た子は、安曇磯良であり、神武天皇ではありません。玉依姫と大山咋のあいだの子が、のちの崇神天皇であり、崇神天皇神功皇后のあいだに出来た子が、応神天皇です。

すでに何度も書いたことですが、記紀ではわざと崇神天皇神武天皇を混同し、系譜の背乗りを行っています。このごまかしを可能にしたのは、本物の神武天皇の母親も玉依姫という名前であったことです。孫が祖父を産むに近い世代間のズレを、同じ神様に複数の名前を与えて煙に巻き、水増しすることで帳尻をあわせました。おかげで各地の神社伝承と記紀にはズレが発生し、こうやって謎解きを楽しめるわけですが……。

この神社の境内には摂社が複数あります。最も立派なのは賀茂宮で、江戸時代に勧請されたもののようです。御祭神の加茂別雷命とは崇神天皇のことだと考えれば、祖母の市杵嶋姫命と、息子の応神天皇と合祀されていることになります。

f:id:bifum:20200723090530j:plain
f:id:bifum:20200723090452j:plain

しかし、私がもっと気になったのは、宮地嶽神社の存在です。福岡県神社誌の篠崎八幡神社の項目に宮地嶽神社の記載はなかったのでよく調べると、無格社として別に掲載がありました。つまり、別格の扱いをうけているわけですが、多数の神社を合併し、御祭神は40柱を超えています。

気になるのは、以前からここでお祀りされていたものか、江戸時代に宮地嶽大明神を勧請したものなのかという点です。御祭神のなかに「事勝国勝長狭神」があります。早い話が大幡主(博多のお櫛田さん)のことです。豊国主(豊日別命)の実父でもあります。さすがに40柱のなかの一人ですから強調しすぎるのははばかられるのですが……。

f:id:bifum:20200723090813j:plain

この高雄神社は、もともと篠崎八幡神社があった高雄山に鎮座していた神社で、保食神を祀っていたところに、江戸中期、大山祗を合祀したとのことです。明治以前は、福智神社と呼ばれていたとのこと。

私の実家のところにある氏神様を地元では「ふくっちゃま」と呼びならわしていました。ところが誰を祀るのかがわかりません。祠に鷹の羽紋がついていたことから、おそらくは「福智社」がなまったものであり、英彦山の関係であろうと仮定したところで、なんとなく答えを見つけた気になり、それ以上深追いはしてきませんでした。

目の前に、保食神を祀る元福智神社があるわけです。驚きました。保食神が必ずしも天細女(あめのうずめ)であるかどうか、現在でも確証がもてないでいるのですが、ここでは天細女(あめのうずめ)の別称として考えてみることにします。

【篠崎八幡神社 ―北九州市の八幡様―】 〓ご紹介〓境内〓

平成二十六年十二月吉日竣工。前年の平成二十五年は、第六十二回式年遷宮という節目であることから、神宮の神殿建築「神明造」を採用。

天細女を神宮の外宮では、豊受大神として祀ります。篠崎八幡神社を守護する神として、事実上、外宮をお招きしたのと同じことになるわけです。おそらく神社関係者はわかっておられるはずですが、天細女の子が本殿に祀られている(崇神天皇を産んだほうの)玉依姫です。これらをひっくるめて、敢えて豪勢な神明造を採用したのでしょう。

 ----------------------------------------
福岡県神社誌:下巻128頁
[社名(御祭神)]篠崎八幡神社帯中津日子命息長帯比売命品陀和気命市寸島比売命多岐都比売命、多紀理比売命、玉依比売命
[社格]県社
[住所]小倉市大字篠崎字宮尾
[境内社(御祭神)]加茂宮(加茂別雷命、品陀和気命市寸島比売命)、八雲社(須佐之男命、櫛名田比売命)、疫神社(大己貴命少彦名命)、幸神社(猿田比古神)
----------------------------------------
福岡県神社誌:下巻448頁
[社名(御祭神)]宮地嶽神社保食神、胸形三柱大神、神功皇后、事勝国勝長沙神、国勝長勝面勝神、闇弥都波神、闇淤加美神、誉田和気尊、住吉三神、菅原神、大蔵春実朝臣、新田義基朝臣
[社格]無格社
[住所]小倉市大字篠崎字高雄
[境内社(御祭神)]記載なし。
----------------------------------------
(2020.07.23訪問)