松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市小倉北区上到津1丁目 到津八幡神社


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到津八幡神社

今回訪問するにあたり、福岡県神社誌をまず確認しました。恐ろしいほどの摂社・末社が掲載されており、境内の状況が見当つきません。社殿の周囲にずらりと境内社が並ぶようなスタイルなのだろうかと考えながら、石段を見上げます。googleマップを確認すると、車道があるようで、石段をあがるよりは楽でしょうから、そちらのほうに迂回しました。

到津八幡神社とは|到津八幡神社

到津八幡神社の歴史はまことに古く、神功皇后三韓征伐の後、宇美の里で御子応神天皇をお産みになり豊浦宮へお帰りの時、御座船を当地に着けられました。後に一祠を建て皇后の和魂をお祀りしたのが当社の起源といわれています。神功皇后の御霊をお祀りしたことから、人々は安産を願うようになりました。社前の川水を汲み、産湯として使われるようになったといわれています。
現在、この川は板櫃川という名称ですが、別に「産川」(ウブカワ)とも云います。また、川の付近には「産川町」という町内もあります。
文治4年(1188年)宇佐八幡大神を勧請し、祭祀には宇佐の支族が任ぜられました。永禄4年(1561年)大友義鎮が宇佐宮を攻め廟社堂一宇も残らず焼きはらいました。やむなく、宇佐宮の神官・社僧は神輿を守護し奉り、天正11年(1583年)までの23年間、神璽を到津社に遷座しました。以後、細川氏・小笠原氏の篤い崇敬を受け社殿等の改築がなされ、現在に至っています。

境内に1400年祭記念事業奉賛金の案内板が残されていました。帰宅するまではそちらから文字おに起こそうかと考えていたのですが、おおまかな経緯については、ホームページの記載のほうがわかりやすいようです。そちらを引用しました。

宇佐神宮 - Wikipedia

平安時代中頃までは大神氏が務めたが、神主職を菟沙津彦 (ウサツヒコ) らの子孫・宇佐氏に譲って歴代祝職となり、宇佐氏である宮成氏、到津氏、岩根氏、安心院氏が大宮司世襲した。その後、一族で大宮司を争うことになる。
鎌倉時代末期の宇佐公世の代から宇佐氏は2家に分かれ、兄の公成が宮成家、弟の公連が到津家を称した。以後この2家が交互に大宮司職を継ぎ明治に至っている。なお、一時宇佐氏一族の出光氏も大宮司となっている。
戦後、祝氏・宮成氏が男爵を返上し宇佐氏に復して祭祀を離れ、以後は到津氏が継承し祭祀を行っていた。平成16年(2004年)ごろより到津宮司に代わって代務者が置かれるようになった。

 以前、宇佐神宮の神主さんの姓が「到津」というのを知ってから、この神社となにか関係があるのかと気にはなっていました。どうやら、この地は宇佐神宮の有力な拠点だったようです。大友宗麟に焼き討ちされ、23年の間、この地に宇佐神宮遷座していたというのは、それだけの理由がある土地でなければ、選ばれません。支援者が現れて宇佐に社殿を建ててくれなければ、ここがそのまま宇佐神宮となった可能性もあるわけですから……。

想像に反して、境内はすっきりとしています。おそらく、福岡県神社誌に記載の摂社は、氏子区域内にあった神社を合祀した記録が元になっているのではないでしょうか。これらは、現在境内にある、若宮神社、稲荷神社、水神社、貴船神社に整理統合されてしまっているのでしょう。

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日田市田島 大原八幡宮 - 美風庵だより

小倉陸軍造兵廠 - Wikipedia

駐車場にあるお稲荷さんを眺めていて、錦春稲荷神社という名前に驚きました。すでに日田市田島の大原八幡宮で、錦春稲荷神社を訪問しています。そのときの日記を読んでいただくとわかりますが、元々は東京ドームのところにあったものが、陸軍の兵器工場移転にともない小倉に分祀されました。さらに疎開先の日田にも分祀され、現在は大原八幡宮の境内にお祀りされているのは、既述のとおりです。このお稲荷さんも、どんな運命のいたずらだと感じているでしょうか。

 

気になるのは、御祭神に豊日別命こと豊玉彦(豊国主)が加えられていることです。本家の宇佐神宮にはありませんので、宇佐神宮で上書きされる前は、豊玉彦を祀る神社があったのでしょう。

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福岡県神社誌:下巻126頁
[社名(御祭神)]到津八幡神社息長帯比売命和魂、息長帯比売命荒魂、品陀和気命市寸島比売命多岐都比売命、多紀理比売命、豊日別命)
[社格]県社
[住所]小倉市大字板櫃字村ノ上
[境内社(御祭神)]若宮神社(大雀命、速秋津比古神速秋津比売神、顕仁天皇須佐之男命、弥都波能売神)、貴船神社(高淤加美神闇淤加美神闇御津羽神)、稲荷神社(宇迦之御魂神)、大疫神社(稲田姫命事代主命須佐之男命、大穴牟遅神、事代八十命)、貴布禰社(高淤加美神闇淤加美神闇御津羽神)、荒生田神社(少彦名神、藤原廣嗣、弥都波能売神)、水神社(弥都波能売神)、水神社(弥都波能売神)、水神社(弥都波能売神)、心吉神社(建御名方神事代主神大国主神)、貴船神社(高淤加美神闇淤加美神闇御津羽神)、稲荷社(宇迦之御魂神)、大山祗神社(大山津見神品陀和気命須佐之男命)、神明社天照皇大御神、豊受皇大御神)、南宮神社(大山咋神)、愛宕社(加具土神)、鹿島社(建御雷神、加賀瀬雄神)
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(2020.07.23訪問)